vol.12 行によって寄り添える絆づくりを
2016/03/01

合掌
弥生月
草木がだんだんと芽吹くという意味です。
自然の力は私たちに生きることの大切さを教えてくれているように思います。因果を思えば、人間のために自然が有るのではないですが、自然の果てしのない大いなる御力は、人を生み育て、食を育み命をつないでいます。人は必要が有って生まれてきているのですが、自然に生かされていることも事実です。
森羅万象ことごとくの中で生かされている人間に対して、自然の力は恩恵だけでなく、無情の仕打をしてくることもあります。台風や豪雨、地震、大津波、土砂災害、河川の氾濫、火山の噴火、地球温暖化等々、私たちの力ではどうしようもありません。
自然の猛威といえば、決して忘れてはならない3・11東日本大震災。あの大地震と大津波から5年、福島県原発問題、放射能問題も未だに解決に至っていないし、宮城、岩手県の復旧工事は進んでいますが、未だ故郷に帰れない方もいらっしゃいます。
この大震災から学んだ教訓を、私たちは活かしていると言えるでしょうか。科学や通信がこれだけ発達しているのであれば、大地震情報や大津波情報が瞬時にすべての人に伝達させることが可能ではないか、また迅速に安全な場所へ誘導できるシステムが備えられないのかと不思議に思います。更に言うと、大津波到達地点標識が大災害を忘れないためにと作られているようですが、地球温暖化による海面上昇のことを考慮し、例えば海抜30メートルを避難すべき場所の目安としたうえで、その目安のラインを国内の海岸沿いに策定し、住民に対してもそこまで避難するのに何分かかるかを周知したうえで、訓練することも必要だと思います。
しかし全ての人が健常者のように一人で避難できるわけではありません。もしものとき一人では避難できない方を背負ってでも助けることのできる、強くて、優しくて、勇気があり、冷静で、行動力のある人間が必要になります。地域の中でそのような人間を育てることも大切ではないでしょうか。いざというとき一人で出来ることもあれば、二人で力を合わせる必要が有ること、大勢で協力しないと出来ないこともあるでしょうから、そのような人間をより多く育てる必要があります。
インフラの備え、行動の備え(訓練)、人的備えが整っていれば、善因善果の法則のとおり命を守ることができるのではないでしょうか。
金剛禅総本山少林寺の道院では少林寺拳法を宗門の行として修行しています。 宗道臣開祖は「行という字は、強い者が弱い者を背負い、互いに向き合い、援け合い調和している姿である。」と説かれました。私はこの言葉の意味を、修行にせよ生活することにせよ、おおよそ金剛禅の門信徒(少林寺拳法の修行者)は行動の基本にこの「行」の考え方をおくように、との教えであると理解しました。その顕れとして、慈悲の心を磨き、人を背負える力と心を持ち、勇気を養うことが金剛禅が少林寺拳法を行としているかという答えであると信じています。
金剛禅の目的は、「自己の可能性を信じ、仲間とともにダーマ信仰を確立し、老若男女を問わず、広く地域と密着したコミュニティを有し、人々の生活や将来に役立つ実践活動を推進し、皆の喜びを自分の喜びとして感じられる人の輪(和)を広げる。」です。つまり人としての正しい方向性を持ち、自信と勇気と行動力をもった人をつくり、その先に平和で安心して暮らせる豊かな社会を創っていくということです。
私たち金剛禅はこれからの社会にこそ必要であると確信しております。より多くの方が私たちの考え方や活動に共感していただけることを願っております。また高齢であっても幼少であっても相手の事を思いやれ、寄り添える絆づくり、そして地域づくりを絶やすことのない教団でありたいと行動してまいります。
被災地におかれましては復興が進み人々の暮らしに笑顔が戻りますようお祈りいたします。
合掌再拝