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vol.26 道を行くための本当の「力」とは

2013/02/01

古代中国の金文には道という字は「ゆきがまえの中に首」と書いてあった。首を携えて道を行くという会意であるが、外族との境界を出ていくときに除災のために敵酋の首を携えていったようだ。自族の境界を出るには命懸けの覚悟が必要だった。道を行くにあたっては相応の生き抜く「力」が必要だということである。人は、安楽に自分の欲望を満たすことだけを目標として生きると社会からはじき出され居場所がなくなる。行き過ぎた個人主義やリベラリズムは自由とわがままをはき違え、往々にしてその言動が社会の害になっていることに気づかない。さらに、そういう人間が人の上に立つとその害毒の影響は計り知れないものになる。

開祖の生きてこられた時代は、大正デモクラシーでリベラリズムが台頭したとはいえ、まだ明治の儒教精神が色濃く残っており、経済的には農業、漁業などの一次産業が中心で大半の人は衣食に事欠いた時代であった。そんな時代の岡山の田舎で、義父と別れ、母が現世利益の宗教に入信した家族が生きていくのは過酷な環境だったに違いない。二人の妹を守り生き抜いていくために、情の入り込む余地もなかったはずだ。青年になって、領土拡張の戦争のただ中にあった日本において、国の捨て石になろうと入った航空隊から、心臓病のために「不適格」のらく印を押されて放り出された。戦争という絶対権力社会の表舞台から離れた開祖は、裏側から戦乱の世を生き延びてこられた。そんな体験の中から、現世利益や儀式法要に偏った他力本願の無意味さや、生きていくための本然の勇気を体得し、また組織の中では上に立つ人の絶対資質が必要であり、国の将来のためには若い人の善導が不可欠であることに天命を感じるに至った。これは、その時代を生き抜いてきた智恵の結晶であり、それが「力」である。

もう一つ同じ時代環境の人の例を挙げてみよう。開祖より10歳上で、曹洞宗大本山永平寺第78世貫主宮崎奕保禅師は、幼少期に母親と生き別れ11歳のときに父が病死ししかたなく寺に預けられた。青年期は、坐禅一筋の仏道修行に疑問を抱き、悩みながらも正法眼蔵、碧巌録、臨済録などの難解な学問を修め、肉食妻帯もせず修業に徹した。69歳のとき結核で死を覚悟したが一命を取り留め、坐禅三昧の修行の後、93歳で曹洞宗貫主に就任、以来108歳まで永平寺の家風を守ってこられた。天涯孤独の少年期を生き抜き、粗食に耐え、学び、黙照坐禅を極めた人である。

開祖の歩んだ戦時中の実利の道と、仏の道とでは天地ほどの違いがあるように見えるが、どちらもいったん世の中からはじき出された境遇を乗り越え、「慈悲心」という尊い心を備えることで人々を教化したという点では同じだ。決して机上の理屈ではなくみずからの力で、開祖は絶対権力の裏側で命を懸け、禅師は天地の真理の中で己を滅し、血のにじむ努力の末に社会にとって掛けがえのない存在となった。人は、心の余裕があるから強くいられる。その心のゆとりが慈悲心である。どんな困難な環境でも、他人に迷惑をかけずに生きるという絶対の強さ、慈悲心を身につける。それが自己確立の道の本義である。また、人づくりを標榜するかぎりは何よりも先にわが身を修めることが大切で、開祖も禅師もそうされたように理の学問ではなく実学が不可欠である。人間学の裏付けのない道は覇道であると心得て拳の修行や儀式法要以上に内修の充実をする必要がある。さらにいえば、たとえどんな道を歩もうと、最後は天地神明に納得して往生することが道といえる。
(姫路白浜道院 道院長 山田 正文)

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