vol.26 道院長としての優れた質

2013/02/01

aun_m_vol26開祖が目指された「人づくりによる国づくり」、その人づくりの要は人間の持つ霊性を高め、誰もが持つ無限の可能性を信じて、日々精進、努力することに尽きます。

そして、その先頭に立つ道院長には、優れた指導者としての多くの優れた資質が求められます。しかし、優れた指導者の持つ優れた資質とは、実は指導者となるための「条件」ではなく、指導者の道を歩んだ「結果」なのです。

正義感や信念、自信と勇気、行動力、これらの資質はその指導者が生来持っていたものなのでしょうか。それとも指導者への道を歩む過程で身につけた資質なのでしょうか。

例えば、「信念」や「勇気」、それは多くの指導者論において不可欠の資質とされています。しかし、では世の中に「信念」を持って生まれついた人がいるでしょうか。世の中に「勇気」を持って生まれついた人がいるでしょうか。

そうではありません。人間であるかぎり、誰もが「迷い」を持っています。「弱さ」を持っています。

では、優れた指導者と評される人物は、いかにしてその「迷い」「弱さ」を捨て、「強さ」を身につけたのでしょう。

道院長の中にも多くの優れた指導者がおられます。一体、その道院長としての優れた資質というのは、もともとその人が持って生まれたものでしょうか。

いえ、そうではありません。釈尊も「人は生まれによりて聖者たるのではない。人は生まれによりて卑しき人たるのではない。人はその行為によりて聖者となり、人はその行為によりて卑しき人となるのである」といわれています。

その人の持つ、自信、勇気、行動力などはその立場に立たされて経験を積んできた結果なのです。最初からそのような能力を持っていたのではなく、その立場に立たされて、悩み、苦しんで、そして決断をし行動してきた結果つかんだものなのです。幾多の成功や失敗を経験し、道院長としての道を歩む過程の中で身につけた資質なのです。

優れた道院長には、開祖が目指された理想があり、それを正しいと信ずる信念があり、その目標に突き進む情熱があります。だからこそ、周りの人にやる気と勇気をもたらし、共感の輪が広がります。

しかし、道院長にも原動力となるエネルギーが必要です。門信徒が向上していく姿や、入門時にはおどおどしていた拳士が自信を持って指導するようになる姿、他人を率先して引っ張っていく姿、その姿がエネルギーになり、道院長をきょうも道院の修行へと向かわせます。

この稿を読まれるのは、道院幹部の方も多いのではと思います。道院長は少し大変で、苦悩もありますが、それ以上に喜びや感動があります。人間としての成長が待っています。道院長になりましょう。そして、優れた道院長を目指しましょう。
(文/東山 忠裕)