vol.19 遥かなる釈尊(上)

2011/12/01

aun_m_vol19釈尊の正しい教えをいかに現代に生かすかは、金剛禅の命題でもある。しかし実在の釈尊の説法のあり様がどうであったかに想いを馳せても、現代から遥かなる古代インドとの時代の差、世界環境の違いばかりが思考を阻み、どうにも届かぬ懸隔を感ずるばかりである。ところが開祖はいくつかの宗教的遍歴を経ながらも、釈尊の偉大な存在を認められ、鑽仰するところまで行き着かれたのである。

遥かなる釈尊に開祖がいかに逢着されたのか、遠く古代インドまで遡り仏教を追いながら、『教範』に掲げられた参考書目などを漁って少しその辺りを思料してみたい。

西暦前500年ごろ、ガンジス川流域に発達した王国や共和国はかなり高度な政治、経済、文化などを形成させていた。古来、バラモン教の特権はあったが、土地を開拓し、ギルドなどを営む進取の気風を持つ人々は、新たな精神的基盤を求め、新興宗教を成立させていた。どんな身分、家柄のものでも希望によって、バラモンと別に、沙門と呼ばれる人々の活動の場を認めていたのである。沙門は家庭を離れ、世俗を捨て静寂な林間などで、精神的修行に専念することができた。世間の人々はこうした修行者を尊敬し、衣食を供給する風習を持っていたのである。

沙門らの態度は、思索と瞑想と道徳的な教養を重視したもので、実践的活動をする者は世間にも認められ、精神的基盤を確立し宗教教団を組織したのである。

その代表的なものがジャイナ教と仏教であった。ジャイナ教と仏教の共通点は、宗祖であるマハーヴィーラと釈尊がいずれも、クシャトリアの出身であり、伝統よりも個人の体験を重んじ範を垂れ、多くの人々に安心を与えていたことだ。しかし二人には大きな違いがあった。同じ沙門でも、ジャイナ教のマハーヴィーラがよりインド的であったのに対し、仏教の釈尊はより人間的であったということである。釈尊は自分の説法を聞いて仏教に転向しようとしていたジャイナ教の在家信者の立場を考え、「今後もそれを続けるがよい。」と諭したという。

こうした差異は後世、二つの宗教の運命を決定的に表した。ジャイナ教はどこまでもインドの土地に深く根を下ろし、熱心で社会的に有力な信者を得て現代まで存続している。これに反して仏教は1203年、イスラム教徒の侵攻でヴィクラマシー寺院が焼却されたことを最後に衰滅してしまったのである。

寛容は仏教の長所であると同時に大きな弱点でもあった。しかし故国に根拠地を失いながらも、国境を越えアジア諸民族の間に広まっていったのが仏教である。

このように仏教は、初め新興宗教の一つであったが、特定の時代や地域に限定されることなく、思想的には柔軟で寛容な着地を果たしながら、広く人間の精神生活の諸相に適合する普遍性を持った思想として、諸方へ伝播していったのである。世界宗教の一つに数えられたゆえんである。(つづく)

(文/今井 健)