vol.20 遥かなる釈尊(中)

2012/02/01

aun_m_vol20世界宗教とはいえ、仏教には複雑で曖昧な宗教儀礼が多いといわれている。

そもそも仏教の教理や儀礼は、インド本国の釈尊の初めから12世紀末の衰滅までの間においても、著しく変化、複雑化していったのである。以下辿ってみる。

釈尊滅後まもなく、出家の弟子たちは遍歴生活をやめ、次第に僧院に定住し、王族らの経済的援助の下に学問と瞑想に専念するようになった。滅後100年ごろには、すでに多くの学派に分かれ、教義や戒律の解釈を巡って対立が起きるなど部派仏教の時代に入っている。部派は釈尊の悟りの法を論理的に分析研究する論書(アビダルマ)を多数作ったのである。

出家修行者は声聞とか独覚とも称されたが、共に阿羅漢という聖者になることを最高の理想としていた。彼らは現世においては、遠い未来に弥勒仏が現れるまで、仏陀は存在しないと考えていた。

一方、在家信者たちは、釈尊が死去したとき、その遺体の火葬やストゥーパ(納骨塔)の建立、供養などのすべてを担った。出家の弟子たちはこれらに関与していない。釈尊を思慕崇拝した在家信者たちは、ストゥーパに集まり、分裂している部派仏教の出家僧団が、一般信者を顧みず自利のみに走る傾向を、小乗と蔑称しながらも、その教義を借用し、次第に自前の教団を組織し拡大していった。これが大乗仏教の興起である。

大乗仏教徒たちはみずからを菩薩と呼び、仏陀になることを理想とし、それ以上に、あらゆる人々を悟らせ、救済しようと慈悲を強調した。彼らは、十方の世界に無数の仏陀が存在することを信じ、いわば信仰の仏教を発展させていった。自他の善行の功徳を諸仏に捧げる、回向という儀礼をつくりだし、ヒンドゥー教やゾロアスター教などの有神論の影響をも受け、独創的な空の思想も展開した。

以上、仏教の大まかな変化をまとめれば、原始仏教(初期仏教)、部派仏教化、大乗仏教化、密教化、ヒンドゥー化という過程を持つことになる。

端的にいえば、バラモンの伝統的特権を承認せず、革新的に興った釈尊の仏教も、時代につれ、密教やヒンドゥー教などの影響を受けつつ、インドの習俗文化に発展的に解消されてしまったことになる。そしてインドでは仏陀もまたヒンドゥー教の一神に祀られる存在となってしまった。

そして大乗仏教は、中央アジアを経て漢訳仏典により中国から朝鮮、日本へ、北方仏教として伝播し、小乗仏教はパーリ語仏典などにより、東南アジアへ、南方仏教として伝播したのである。

思えば釈尊の仏教は日本の仏教からも実に遠い、遥かなるところにある。そのような中、南方仏教の出家僧団は、教理や儀礼面において、現在も釈尊の仏教に近い純粋なものを継承させているという。興味深いことである。
(つづく)

(文/今井 健)