vol.27 金剛禅の布教

2013/04/01

aun_m_vol27「日本に伝わった禅宗の発祥の寺は、洛陽にある少林寺(嵩山少林寺)である。えっ? 少林寺が禅宗の大本山なのかと驚くだろう。そうなのである。少林寺と聞くと日本人はすぐに少林寺拳法を思いつく。この少林寺拳法が、後に台湾・沖縄経由で日本に伝わり古武道や拳法そして空手(=唐手)となったのである。この事実も案外、軽視されている」。これは副島隆彦氏の著書『隠された歴史』の中の一文です。日本で少林寺といえば少林寺拳法を思いつくと言っていただけるのはありがたいことですが、中国の少林寺の拳との混同はいただけません。

実はこの本は、ブッダの言葉こそ本当の仏教であるとして、本当のお釈迦様は「出家者(仏僧)は死に関わるな。葬式に関わるなと言ったのに、なぜ葬式仏教に成り果てたか」を、仏教に関わる隠された歴史を繙きながら解説した宗教論の書なのです。

しかしながら、少林寺拳法は前述のように武道としての記述だけで、宗教団体としては触れられていません。このように、少林寺拳法は武道としては周知されているけれども、宗門の行としてはまだまだ認知されていないという現状は認めざるをえません。

開祖は教範で「最も理性的であり、而も人間性の深さを究明して、物心両面の安らいを得られる教えは、いろいろの思想や、宗教遍歴を経てきた経験から、釈尊の正しい教えをおいて他にないと私は考えていた」として、少林寺拳法創始の翌年には「黄卍教団」という宗教団体を設立しています。釈尊の正しい教えを現代に生かし、達磨の遺法である易筋行を主行とする身心一如の修行を通じて自己を確立し、人間の持つ霊性を信じ、人のために役立つ生き方をしようという開祖の願いは、創始当時から一貫して変わらないのです。

また、指導者講習会でも「一応黒帯を締めるようになったときには、少林寺拳法とはどういうものである、どういう目的で何をやろうとしているのかと、宗教的にも思想的にも他の人と論戦をやっても言い負かされんだけのものを育てたい。身につけさせたい」と、門信徒の理論武装や質的充実を訴えておられます。ですから私たちは、外に向けては金剛禅を世間に知らせ、共に参加してもらう働きかけをするとともに、更に重要なのは内に向けての門信徒の教化育成です。そのために小教区活動を利用して、誰もが学科の講義や法話により他人を感化する力を身につけなければなりません。

開祖は、「今回、拳法教範発行に当っては、金剛禅運動の創始者である私の宗教的信念や思想を明らかにし、その由来するところや意図する目的を明示して、この運動の協力者であり推進者である第一線の指導者諸賢の参考に供することにした。本書が各位の信念を確立し、行動に自信と誇りを持つことに役立てば幸甚である」と、1955年に教範の自序に書かれています。この言葉には、私たちに自信と誇りを持って金剛禅運動に突き進んでほしいという開祖の願いが込められています。
(文/東山 忠裕)