開祖の言葉に奮い立った学生時代。 稽古で培った熱い精神でゴルフの道にも邁進してきた。

2018/05/02

獨協大学OB神戸誠氏に聞く

Q 今回は獨協大学少林寺拳法部OBで、ゴルフのトップアマとして長年ご活躍されている神戸誠さんにお話をお伺いします。神戸さんはアマチュアゴルファーとして埼玉県を拠点に活動されており、同県のアマチュア選手権で優勝を重ね、日本アマチュア選手権出場、あるいはプロアマ混合の大会で青木功選手をはじめとするプロ選手と戦うなど輝かしいキャリアを誇っておられます。まず神戸さんが大学で少林寺拳法部に入部した理由から教えてください。

神戸 私は高校の時に空手をやっていました。群馬の田舎の町道場でしたけど、結構のめり込みましてね、高校でも空手愛好会を作って「群馬では俺が一番強いんだ!」「誰でも来い、いつでも来い!」くらいの気持ちでいましたよ(笑)その頃は少林寺拳法のことを知りませんでしたね。

Q その当時、空手は何段だったのですか?

神戸 道場での段は持っていませんでしたが黒帯をしていました。でも大学に進学した当初は「大学の空手部なんかたいしたことないんだろうなぁ‥‥」と思っていました。それが体育会のオリエンテーションで、少林寺拳法部の先輩が演壇の上で相手を投げ飛ばして床に叩きつけるのを見たんです。「これはちょっと半端じゃないな」と思いました。それが少林寺拳法との出会いです。

Q 入部してみていかがでしたか?

神戸 空手をやっていたという自負もあったし、突きも蹴りもそれなりに鍛えてきたつもりでしたけど、やっぱり入部してみて実力の違いを感じました。最初は「おかしいな」と思いましたけど、よく考えてみれば練習量がもう全然違うわけです。当時、大学の体育会で武道をやっていた連中は、半端じゃない練習をしていましたからね。

Q なるほど。

神戸 そのときはじめて町道場と大学の体育会の武道部との違いを思い知りました。道場の師範代は群馬大学の学生で空手部の部員だったのですが、その人が特別に凄かったというよりも大学の体育会であれば当たり前のレベルだったのです。それは少林寺拳法部も一緒ですから、「あんな凄い人たちがいるんだったら、追いつけるように少林寺拳法をやってみよう!」と思ったのです。

Q 神戸さんは獨協大学少林寺拳法部の何期目にあたるのですか?

神戸 私が3期目です。その当時、私の代だけで75人くらい部員がいました。その下の代は100人を超えていました。2年生になったときには先輩から「夏の合宿までに1年坊を半分にしろ」と言われました。つまりガンガンにシゴいて、音をあげる奴はどんどん辞めさせろ!・・・と。先輩たちとしては「お前らにお願いしてやって貰っている訳じゃないんだから、嫌なら辞めろ!」と。そのくらいの感覚だったのでしょうね。

Q かなり厳しい練習をしていたのですか?

神戸 通常の練習が3時半からだとすると、朝練も昼練もあって、夜は道院にも行く。そうは言っても、同期の中でも半分以上がなにかしら理由をつけて欠席していましたね。先輩もそれをいちいち咎めだてはせず、出てこない奴はどんどん振り落とされていくだけの話でした。乱捕(運用法)をやっても、顔面は寸止めと言う約束なのですが、多少当たっちゃったりするのは日常茶飯事。あるいはわざと当てたりね(笑)。蹴りだって本気のそれを受ければ手が腫れ上がりますからね。ですから「すいませんお母さんにやめろって言われました」って言って、退部届けを持ってくる奴もいましたよ。

余談になりますけど当時の学食の昼時は、少林寺拳法部と応援団の席が決まっているわけです。それで昼食の時は20人くらいずつ座れる席を私たち確保しておくのです。そして先輩が来ると、お金を預かって、食券買って、並んで、食事をお持ちするわけです。で、先輩が食べ終わるまでずっと後ろで待っている。食べ終わって、先輩がタバコ吸うとなれば「失礼します」と言って火をつける。先輩がタバコ吸い終わって「おう、飯食っていいぞ」と言われるまでそこでずーっと待っているわけ(笑)。それくらいの上下関係でしたね。

Q 当時はすでに関東大会が開催されていたのですか?

神戸 そうですね。全日本大会もありました。私は演武で出場して、最優秀賞をいただきました。もちろん、本部の合宿にも参加しましたよ。そのほかに本山に泊まり込んでの個人合宿にも行っていました。

Q 開祖の印象はいかがでしたか?

神戸 すごくカリスマがありましたね。その当時は開祖のことを「管長」と呼んでいたのですけど、開祖に「行け」と言われたら、たとえ火の中でも飛び込んでいくぞ! と思えるくらい崇拝していたし尊敬できる人でした。ひとつひとつの言葉は優しいのだけれど、すごく惹きつけられましたね。

Q どんなお話が印象に残っていますか?

神戸 最初はただ強くなりたくて少林寺拳法をはじめたわけですけど、開祖は「他の人の手助けにもなるように自分を磨け」とおっしゃるわけです。「弱い人が困っていたら助けてあげろ」ってね。例えば誰かが暴力を振るわれている‥‥そんなとき助けに行かなくてどうする、と。当時はまだそういうことが頻繁にありましたからね。「自分が力を持っていなかったら止めに行けないだろう」「そのために自信を持てる力をつけろよ」と言われました。『勇気と自信と行動力』…館長の言葉、そして「なんかあったらケツは俺が持ってやるから、どんどん行動しろ!」と言われました。その言葉は、素直に感動しましたね。

 Q 開祖の情熱が伝わってきたのですね。開祖は大学生をすごく大事にしていたと古い先生方からよくお聞きしますが。

 神戸 大事にしてくれているのがわかるんだよね、学生としては。だから学生はみんな開祖を尊敬していましたよ。集合写真を撮るときなんか、みんながそばに行きたがるんです。そんなとき「おう、神戸こっちにこい」なんて言ってもらえると、もう嬉しくってね!

Q 神戸さんの当時のお写真を見ると、身体もごついですし、気合が入っているのが伝わってきます。

神戸 私なんかはいつも学ランを着てね、「俺は武道やっていますよ」と、そういう雰囲気をプンプンさせながら歩いていたからね(笑)。少林寺拳法部のでっかいバッチつけてね、看板を背負っているから逃げるわけにもいかない! 負けるわけにもいかない、「いつでも喧嘩買いますよ」くらいのつもりでした。やっぱりそういう先輩がいてね、その方を真似していたのだけどね。社会人になっても、そういう感覚はしばらく抜けませんでした(笑)。

Q 当時はまだまだ荒っぽい時代だったのですね、良くも悪くも。

神戸 でもね、「いかにも武道をやっています」っていう感じじゃなくて、普段はさりげなくて、イザという時にはすごく強くて頼りになる、そういう先輩もいたんです。そういうのも良かったかもなぁ、といまになって思います。もうやり直しはきかないのだけど。

Q そんな神戸さんがゴルフを始めたのは、どういうきっかけだったのですか?

神戸 最初は全然興味なかったんですけどね。「止まってる球を打つなんて何が面白いんだろう」なんて思っていましたから。でも職場の上司から「神戸君もそろそろゴルフやったら」と言われましてね。30歳になるころ東武鉄道系列のレストランで働いていたのですが、そこがゴルフコースのレストランをオープンすることになりまして、手伝いに行ったのです。そのときがゴルフを始めるきっかけになりました。

Q はじめてみていかがでしたか?

神戸 それが、止まっている球なのに上手く打てない(笑)。当たってもとんでもないところに飛んでいく‥‥それがスポーツ万能と思っている自分としては悔しくて練習するようになりましたね。当時たまたまゴルフのレッスンプロと知り合いになって、その方が良く指導してくれました。私が体育会系だと知っていたから、もうがんがんシゴキの練習をしたものです。そして練習を始めて2ヶ月くらいでコースに出ました。最初のティーショットだけは練習場と条件が同じですから思い通りのナイスショット! ‥‥でもそのあとが全然ダメでした。というのは、コースの芝生の上で打つのは初めてでしたから‥‥ダフッるわ! トップするわ! でした。

Q なるほど。

神戸 そしたらキャディさんに「お客さん、ゴルフは上がってなんぼだからね」と言われたんです。要するにただ飛ばしてもスコアが悪ければダメなんですよ!と。いまならその通りと思うのだけど、そのときはものすごく腹が立ちましてね(笑)。そこから二度とこんなことを言われないようになってやる!と夢中になって練習しました。

Q その後、トップアマとしてご活躍されていくわけですが、あの石川遼選手と一緒に戦ったことがあるそうですね。

神戸 彼は中学校3年の時に埼玉県アマチュア選手権に優勝しているんです。これは県内のアマチュア選手なら誰でも出れる大会で、私も5回優勝しています。彼が優勝したのが06年と07年ですが、その数年前から高校生がアマチュアの大会で活躍するようになってきていてたんです。それが高校生どころか、中学生がトップを走っている‥‥ですから猛然と彼を追い込んでいったのだけど、結局追いつけなかった。

Q 石川選手はどんな若者でしたか?

神戸 ものすごくいい子です。挨拶はちゃんとするし、マナーもわきまえているしね。だから試合後のインタビューで「高校生にだって負けるのは許せないのに中学生に負けるなんて絶対許せない! でも、石川君はいい子だから許すか‥‥」と言ったのがそのまま次の日の新聞に載ってた(笑)。そして石川選手は翌年のマンシングウェアKBSカップ(07年)で、アマチュアでしかも高校1年生で優勝しちゃった。そこからはもう、みなさんご存知の通りですよね。

実はあの大会、石川選手は予選で一度落ちてるんですよ。それが、たまたまもう一人出場できることになって、「じゃあ石川くんがいいよ」ということになったそうです。つまり補欠だったんです。しかも本番では悪天候のため途中で1日中止になって、最終日にツーラウンドやることになった。つまり普通だったら18ホールづつ廻るところが、最終日は36ホールになったのです。これはプロ選手にとってもかなり大変なことなんです。ところが石川くんは当時15歳だから体力的にはまだまだルンルンで楽勝なんです。それと、通常であれば最終日の組み合わせは前日の成績順だから、成績の良い選手同士が一緒の組になってこれがプレッシャーになるのですけど、この大会ではそういうこともなかった。これら色々なことが彼に味方して、あの衝撃的な優勝劇があった訳ですね。

Q そうだったのですか。

神戸 ただ、彼は当時からものすごく力のある選手でした。私もプロ選手と一緒にラウンドすることがありましたから一流選手の実力は肌で知っていましたが、15歳ながら石川くんは別格でしたね。例えば左側がOBの林だったら一般の選手はリスクを犯さず、林と反対側を狙ってショットを打つわけですけど石川選手は、OBのギリギリのところへ自信満々で平気で打っていける。そのくらい当時からショットクォリティが高かった。「あ〜、こんなの今まで見た事ない!こいつちょっと違うなぁー」と思いましたね。

 彼とはその頃からの付き合いで、先日も彼が主催しているジュニアのファーストゴルフフェスティバルというのが横浜カントリーであって、そのお手伝いに行ってきました。そこでもデモンストレーションで素晴らしいショットを打って見せていましたよ!

Q ゴルフでは、どんな子が伸びますか?

神戸 まず超一流なプロになるのは身体能力ですね。そういうのは見るからに動きで分かりますね。あとはゴルフでいうエチケット、マナーなんですけど、石川選手や宮里優作選手は他の選手を思いやることができる度量の広さがありましたね。周りに気を配りながらも、自分の力を発揮できる選手なんです。ですから子供達を教えるときには、そういうことも意識します。関東ゴルフ連盟が有望なジュニア選手を選抜して教育しているのですけど、その子たちに基礎体力とマナーやエチケットについて徹底的に教育していますね。

Q そこは開祖が志した人づくりと共通するものがありますね。では、神戸さんの考えるリーダーにふさわしい人間像について教えてください。

神戸 「自分でやって見せることができる」人間だと思います。とくに現場ではね。石川選手のプレーをみせられたら、誰もが「わぁ、すげえな」って思えるでしょう。開祖が錬成道場でね、何百人といる学生の前で、内弟子の先生を投げ飛ばしてしまうのも同じですよね。自分の上のひとが「こうだろ」って鮮やかにやって見せたら、納得するしかないでしょう。そして自分もああいう風になりたいと思いますしね。

Q だからその人の言葉が心に届くのですね。

神戸 それができる人間が現場では一番の指導者じゃないかな、と思いますね。

Q 最後に若い拳士たちに向けてメッセージをお願いします。

神戸 まず基本となる身体を鍛えることですね。心技体というけれど、私は身体がまず先だと思います。困難に耐え凌げる身体を作ってそれで初めて心がきて、技がくる。それで人の助けに少しでも役立つ事ができれば最高ですし、自分の人生に活かすことができればいいですね。だから子供たちには、どんなスポーツでもいいから身体を鍛えときなさい、と言います。ゴルフだけじゃなくて、陸上でもサッカーでもなんでもいい。それと並行して、ゴルフなり少林寺拳法なりをやってくれればいいと思うんです。

 Q たしかに種目が違っても、身体の動かし方はもちろん共通しますし、練習や試合などを通して培われる経験もまた、貴重な学びとして人生の糧となると思います。たいへん勉強になりました。ありがとうございました。(2017年12月18日 少林寺拳法東京研修センターにて)

(神戸誠氏プロフィール)1949(昭和24)年 群馬県生まれ。獨協大学少林寺拳法OB。30歳よりゴルフを始め、埼玉県を拠点にアマチュアゴルファーとして活躍。第13、14、22、24回埼玉県アマチュア選手権優勝。第2、3、6回埼玉県マスターズ選手権優勝。関東アマチュア選手権、日本アマチュア選手権などにも出場し、02年には日本シニアオープンに青木功選手などのプロ選手と共に出場し、アマユア一位に輝いている。少林寺拳法二段。