vol.12 雷龍王の国ブータンに習う

2010/10/01

aun_m_vol12ヒマラヤのふもとの小国、ブータンが世界中の耳目を集めたのは、1976年、スリランカのコロンボの会議で、ブータン国王が「国民総生産量」より「国民総幸福量」を目指すと発言したことに始まる。

以来、ジグミ・シング・ワンチェク第4代雷龍王は、世界第1位と2位の人口を誇る大国に挟まれた小国が生き延びるための戦略として、国民がこの国に生まれて本当に幸せだと誇りを持っていえる国づくりを推し進めて、国民が幸福を追求できるように公の障害を取り除き、幸せの可能性を高めることを中心に国を治めた。それが口先だけでないことは、雷龍国憲法草稿、第9章第2条「国政は、国民総幸福量の成果ある追求を可能とする環境を推奨すべし」とうたっていることでもうかがえる。

そして、それを実現するために、武力ではなく、政府高官の人選と中心的人材の育成、そして頻繁な巡幸により一人でも多くの国民の心を聞き、国民の意識を改革することに、力を注いだ。その成果は、一介の農夫に「電気や道路、欲しい物はきりがないが、利己主義はいけない。国の財源には限度がある、物がなくても我らには幸せがある。村人が力を合わせて、皆の幸せを守ることがいちばん大切なのだ」と言わしめる。

国づくりは人づくりと、本当に信じて行動した人がここにもいた。

ブータン初の国民議会選挙で初代首相についた、ジグミ・ティンレイ氏も『BS朝日』の番組で石川二郎氏のインタビューを受け、「他人の幸せは、私の幸せにつながる。日本は経済発展とは逆に失ったものがあるなら、ブータンを見習うよりも、過去の日本に見習うべきである」と答えている。

少林寺拳法草創期の物のない時代から、物質的に豊かになるだけでは真に幸福にはなれないと、物心両面の調和と自他共楽を目指す金剛禅運動を展開した開祖。その開祖の志を継承して、人づくりによる国づくりを心の底から信じて行動しようという我々にとって、ブータンから習うことは多々あるように思われる。

(文/東山忠裕)