vol.38 どんな社会をつくり、残していくのか

2015/12/01

2015年も終わりに近づいてきました。皆様にとって、どんな一年だったでしょう。

私にとって今年は、プライベートでは2人目の孫の誕生で、日々が潤い癒されるとても幸せな一年でした。しかし、その孫たちが育っていく今の日本の環境は、心配と不安と苛立(いらだ)ちの社会です。

少林寺拳法の基本理念である「半ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」、そんな人づくりが国づくりへの道だと信じ、私たちは68年間活動を続けてきました。

内外共にこの言葉はいいですね、使わせていただいていますと、たくさんの方々に愛されている理念です。他人(ひと)の不安や苦しみを自分のこととして感じ、本気で何とかしようとする人々は、行動様式も言葉の選び方にもこの理念が現れているように感じられます。

沖縄県の普天間問題では、そこで生活し、これからも生きていく人々の声も無視し、「辺野古への移設を粛々と進める」という菅官房長官の発言が“上から目線”だと問題となりました。さまざまに言われる中で、この政府方針は、住民不在で不動の決意であるという意味だと私は受け取りました。粛々という言葉だけではなく、強行される移設工事を見て、そう理解するのは誰しも同じではないでしょうか。国民の安全と平和を守る……と言い切る言葉の重さを、今一度考えて見なければなりません。東日本大震災の被災地も、まだまだ復興には時間も予算も人も必要です。福島第一原発の事後処理も進まず、もしものときの対策も、避難さえも問題を残したまま、次々と原発は再稼働されています。

冒頭の話に戻りますが、かわいい孫の顔を見遊んでいると、ふっと重い責任を感じてしまうのです。かなりの年月を共に生きる子供とは違い、あまり長い時間一緒にはいられない孫に、どんな社会をつくり、残していくのかと考えると、恐ろしくなるほど責任を感じるのです。

「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」、そうありたいと願うだけなのか、それともそう行動し生きるのか問われる昨今です。

沖縄や福島の人たちの今の生活と将来に、国民一人ひとりが関わっていることを、忘れてはなりません。