目標に対する意志と執念。そして明確なビジョンが道を切り開いてきた。

2017/01/01

Q 今月と来月の二回にわたって、防衛大学校少林寺拳法部OBの岩田清文さんにお話をお伺いします。岩田さんは陸上自衛隊にて第34代陸上幕僚長を務め、今年の7月1日をもって退官されました。まずは防衛大学校に入学された経緯から教えてください。

 岩田 高校三年生の秋のことでしたが、担任の先生が「国立大学を受けるものは皆、防衛大学校を受けるように」とおっしゃったのです。受験料も無料だし、力試しのつもりで行ってこい、と。それで受験をしましたが、実を言いますと防衛大学校がどういうものか、そのときはまったく知りませんでした。

 結果は合格でした。進学を決めたのは、防衛大学校ならば自分を強く鍛えることができるのではないかと考えたからです。「とにかく自分を鍛えたい!」当時の私は、そういう気持ちが強かったのです。

 Q 防衛大学校では、どんなことを学ぶのですか?  

 岩田 三つの柱があります。ひとつは勉学。これは一般の大学のカリキュラムと全く同じです。二つ目が学生舎生活といって、寮生活です。防衛大学校は全寮制で、学生舎という寮で先輩後輩が共同生活を通じて切磋琢磨しながら、人間関係を学ぶのです。三つ目が校友会といってクラブ活動。この三本柱を通じて人間性を高めるのです。

 Q 防衛大学校というと、例えば軍備の扱いに関する演習や座学が主体と思っていましたが、そうではなくて普通の大学生と同じなのですね。

 岩田 もちろん、ときには自衛隊の実業務に関する訓練や講義もあるのですが、基本的には人間を作ることが目的です。ですから学生生活がつらいというよりも学ぶ事の方が多かったです。つらかったのは少林寺拳法部の練習でしたね(笑)。

 Q そんなに厳しかったのですか?

 岩田 厳しかったです。とくに基礎トレーニングがハードでした。しかもあの当時は設備が整っていなくて、体育館や道場では練習できませんでした。校舎の屋上で、コンクリートの上にマットを敷いてみたりもしましたが、やはり投げられると大変なダメージがあります。ですからプールサイドの芝生の上が主な練習場でした。私が一年生のときは新入部員が30名強いましたね。全学年含めると100名を超えていました。

 Q 防衛大学校は大会でも活躍されていますね。特に団体演武は、伝統的に素晴らしいものを作り上げておられます。

 岩田 私たちの頃は、大会には2年生が主体となって出場していました。団体演武の代表は12名でしたから30名近くの同期で競争です。その結果として選ばれる部員、選ばれない部員がハッキリ分かれます。たまたま私は選ばれて大会に出場し、最優秀賞をいただくことができました。打ち上げの席では、トロフィーにビールを注いで勢いよく飲み干しましたけども、出場できなかった同期もまた同席しているわけです。自分達だけ浮かれていいわけではありません……想いを果たせなかった同期への心配り。これもまた学んだところですね。全員が切磋琢磨したからこそ、満足いく結果を得られたわけですから。

 Q どんな言葉をかけたのですか?

 岩田 「すまんな、ありがとう!」。その一言です。そうすると相手も「いいんだ、飲もうじゃないか!」と。

 Q 素晴らしいですね。互いに全力を尽くしたからこその言葉ですね。

 岩田 少林寺拳法から何を学んだか? それは人間関係です。そして揺るぎない団結力。あらためて、そう思いますね。

 Q 後輩への指導ではどんなことに注意しましたか?

 岩田 入部当初は指導役の3年生の先輩から、生活態度、時間の管理、練習に対する姿勢などあらゆる面を指導していただいたのですが、正直を言いますと最初は戸惑いました。けれど先輩たちは、少林寺拳法の練習はもちろん勉学や普段の生活においても、自分を高めようとする努力をずっとしておられるわけです。だからこそ、厳しい指導でもグッと伝わるものがある。「あの人のいうことなら聞いてみよう」と思いました。まさに自己確立。すなわち自己修養ですね。私もそのことを自分自身に言い聞かせながら後輩たちに自分の背中を見せてきたつもりです。

 Q 本部合宿は行かれましたか?

 岩田 一度だけ、三年生の夏に参加しました。

 Q 当時、防衛大学校の学生は開祖に直に会わせていただけたと聞いておりますが?

 岩田 そうです。私たちも開祖に直接面会していただきました。やさしい、息子を見るような温かい眼差しでした。同時に期待も感じました。「お前たち防大生、頑張れよ!」「頼むぞ!」と。一人ずつ握手してくださいましたが、大きな手でした。そして強い手でしたね。

 Q さて、防衛大学校卒業後、岩田さんは陸上自衛隊に進まれますね。

 岩田 最初は岡山県にあった戦車大隊に配属となりました。6年半いましたが、そこで素晴らしい仲間と出会いました。当時は冷戦時代で、非常に厳しい時代でしたから「万が一有事となれば、現場に赴き共に戦うぞ!」と、全員が揺るぎない意志を以って、強い絆を結んでいました。少林寺拳法部で学んだ団結の精神を、そのまま部隊で実践することができたと思っています。現在では全員退官しましたけど、いまだに付き合いがありますよ。

 Q 最初はどんな業務から始まったのですか?

 岩田 配属されてすぐに、戦車小隊長という役職に就きました。大隊の中に4つの戦車中隊がありまして、一個中隊は13輌の戦車を持っています。うち4輌を以って一個小隊。この4輌を率いる戦車小隊の隊長です。さらに中隊全体を統括する中隊本部でも、訓練幹部、服務指導係幹部、武器係幹部などの役職も同時に拝命していました。

 Q 防衛大学校を出たばかりで、すぐに隊長職に就くわけですね。そうすると、年齢が上の隊員を束ねなければいけないのですか?

 岩田 そうです。大学を出たばかりですが、部下の中には古参の軍曹もいるわけです。戦車小隊長の下には戦車小隊陸曹。中隊本部の中でも、例えば訓練幹部の下には訓練係陸曹という部下がいて、これもまた古参の軍曹です。皆、歴戦の勇士。自分にとっては父親くらいの年齢です。当然ながら中隊長の指揮のもとで業務をするのですが、小隊長の権限の範囲にある細かいことは、最終的には私の判断で行います。そこで古参の軍曹たちと、意見が合わないときが多々ありました。

Q 先月に引き続き、防衛大学校OBで、第34代陸上幕僚長を務められた岩田清文さんにお話を伺います。前回は防衛大学校卒業後すぐ、戦車小隊長に就任され、経験豊富な年上の部下を持つことになった時のお話でしたね。多くの場合は、経験者の話を聞きそのやり方に従うことから始めると思いますが、岩田さんは違ったのですか?

岩田 私のやりがいは「変えること」です。常に現状の問題点を見つけ出し、より良い方向に変革させて行きたいのです。そこに仕事の価値を見出していますし、それが結果的に国家への貢献ともなる。常にそう考えていました。ですから年上であっても、必要なことははっきり伝えました。例えば訓練・演習への取り組み方ひとつとっても、改善の余地はたくさんありました。「ずっとこのやり方でやってきたかもしれないけど、これでは実戦で勝てない!」「だから戦法も訓練も変えて、このようにやりましょう!」と伝えました。

Q 古参の軍曹たちはどのように応えたのですか?

岩田 最初は噛み合いませんでした。「我々は30年間こうやってきたんだ!」「変える必要はない!」。この繰り返しです。酒を酌み交わしながらも議論しました。飲んでは議論、飲んでは議論です。目前の演習(戦車射撃競技会)に勝つことだけを最大の目標にする者と、実戦に勝つことを最大の目標にし、このためにより実際的(難度高)な方法で目前の競技会に勝とうとする者との葛藤です。

 最初の年の演習(戦車射撃競技会)では、私が譲らずに、また小隊内の認識の統一を得られないまま本番を迎えたため我が小隊は最低の成績となってしまいました。それで大荒れに荒れましたね。それでも少しずつ、少しずつ、地道な取り組みを続けました。

Q 相当なご苦労があったのではないでしょうか。

岩田 そうですが、なにごとにも全力で、そして裸で飛び込んでいきました。例えば陸上自衛隊では、若い隊員たち対象の銃剣道合宿が一ヶ月間行われる部隊も多いのですが、その間は、朝から晩までずっと銃剣道の練習です。

私は未経験でしたが、合宿に参加して、もうボロボロにされましたよ(笑)。

それでも「負けてたまるか!」と、毎年参加し続けました。すると、1年目はまったく勝てなかったのが、2年目3年目になると少しずつ勝てるようになっていくわけです。古参の陸曹にも10本中1本は勝つようになってくる。周りも「こいつはちょっと違うな」と思ってくれるようになる……。

Q 負けても負けても怯まずに挑む、その闘争心が少しずつ周囲に認められていったのですね。

 岩田 そうやって取り組んでいきまして、数年後の演習(戦車射撃競技会)でようやく最高の結果を出すことができました。その時に、本当の団結が生まれたのです。「これなら本当に実戦に勝てるぞ、わかったか!」「小隊長わかった。お前の言うこと聞いてやる!」と。それ以降、全員が私の言うことを聞くようになりました。

 Q 困難を乗り越えていくその精神力は素晴らしいですね。その積み重ねがあったからこそ、陸上幕僚長を任されるまでになられたのだと思いました。さて、ここで幕僚長の業務について教えてください。

 岩田 一言で言えば陸上自衛隊15万人のこと、全てに責任を持っています。例えば災害派遣あるいは有事の場合、指揮系統は防衛大臣→統合幕僚長→各方面総監です。陸上幕僚長は、防衛大臣と統合幕僚長が実施する作戦をあらゆる面でサポートするのです。例えば熊本大地震であれば、防衛大臣の命を受けて統合幕僚長から陸上自衛隊の各方面総監に部隊出動の指令が出されますが、部隊運用の大きなことは統合幕僚長が行います。しかしながら部隊を九州に集中させる際の輸送の細部調整、物資の補給・調達など、作戦の実行に必要なありとあらゆることは陸上幕僚長が行います。熊本大地震発生の二日後には、陸上自衛隊の各駐屯地が保有している非常用の食料を提供しましたが、これも私の指示です。

 また将来の防衛力を整備していく観点においては、約三年前に閣議決定された「防衛計画の大綱」すなわち安全保障政策の基本的な指針において陸上自衛隊の変革に関する提案をさせていただきました。そのうちの一つが「陸上総隊司令部」の創設です。2017年度末をめどに創設が予定されていますが、北部、東北、東部、中部、西部の五個方面隊を束ねるものです。これによって指揮系統をよりスムーズにします。

 Q ここでも大きな変革を行ったのですね。

 岩田 それ以外にもいろいろありますが、在任中に変えることができたこともありますし、まだ道半ばのものもあります。でもそれは私の志を理解してくれる後輩たちが後に続いてくれると思っています。

 Q 岩田さんの取り組みには、強い意志を感じます。

 岩田 そうですね。改革を断行するぞ、という目標に対する意志と執念。そして明確な理念、ビジョンですね。これこそが組織の指導者、リーダーに求められる資質だと思います。自分の組織はいかにあるべきか、まずその理想像を明確にすること。そのためにどう制度を変え、業務を変えて行動させていくか、人材をどうやって育てていくか、各部署をどう連携させていくか、いかに管理していくべきか‥‥これら具体的なプランは、やはり理念がないと生まれてこないですからね。

 Q 個人としても、ビジョンを持たないと充実した人生を送ることはできないですね。

 岩田 「なんのために自分は、生きるのか」「自分のやりがいは何なのか」人はそういうことを自分に問いかけていくべきだと思います。少林寺拳法を学んでいる高校生や大学生の若い拳士諸君も、これから社会に出ていきますよね。進学や就職といった人生の岐路に立ったときにこそ、人生の目的というものを考えて欲しい。そして社会人となったときには、自分が与えられた場で何にやりがいを求めるのか、そこを考えていくことがその後の人生を大きく変えていくと思います。

 Q さて、このたび岩田さんは、全自衛隊連盟の会長に就任されました。会長として今後の展望を教えてください。

 岩田 卒業以降、少林寺拳法から離れていましたので、久しぶりの復帰となります。まずは現状を掌握した上で、私に何ができるか。もともと少林寺拳法というものが、自己確立すなわち自己修養を目指すものですよね。

そして「半ばは人の幸せを……」という言葉からも分かるように社会に貢献するために私たちは修行をするわけです。そして自衛隊も国家のためにあるわけですから、その中で少林寺拳法というものがどういう役割を果たすのか。全自衛隊を通じた拳士の団結をなんらかの形でサポートするものになればよい、と今は思っています。

 Q そうですね。少林寺拳法の修行のその先にあるもの。開祖が求めたもの。それを常に意識しておかないと、本来の目的を見失ってしまいますね。岩田さんの強いリーダーシップで全自衛隊連盟がますます盛り上がり、それが少林寺拳法全体の発展に繋がることに、期待が膨らみます。今後ともどうぞ宜しくお願いします! (平成28年9月15日 少林寺拳法東京研修センターにて)

  (岩田清文氏プロフィール)1957(昭和32)年生れ、徳島県出身。防衛大学校(電気工学部)卒業。卒業後は陸上自衛隊に進む。98年 一等陸佐に昇任、01年 第71戦車連隊長、03年 陸上幕僚監部装備部装備計画課長、04年 陸将補に昇任、陸上自衛隊富士学校機甲科部長、06年 中部方面総監部幕僚副長、08年 陸上幕僚監部人事部長、10年 陸将に昇任、第30代第7師団長、11年 統合幕僚副長、12年 第33代北部方面総監を歴任後、13年8月に第34代陸上幕僚長に就任。16年7月1日をもって退官。防衛大学校少林寺拳法部OB。少林寺拳法二段。