第4回目 介護の実体験を聞く

2019/02/28

これまで3回にわたって、超少子高齢社会について、執筆してきた。 今回は、ことし65歳になる男性職員Aの家で起きた介護の事例を、聞いたまま紹介したい。

  • 認知症の介護例

2007年6月、義父、膵臓がんのため逝去(享年81歳)。

4年後の2011年、一人残った義母に認知症の症状が表れる。独り住まいだったため、娘二人(うち一人がAの妻)が交互に介護に赴く。以後、認知症は少しずつ深刻度を深めていった。

認知症は徐々に進行し、その症状は多岐にわたった。義母の場合は次のような症状をたどった。当初、物忘れがひどい程度だったが、次にテレビドラマの筋が追えなくなり、銀行カードや財布をしまった場所が分からなくなり、家族関係が分からなくなっていった……。

そして3年目に二度ほど徘徊行為があった。

一度目は帰宅することができた。本人いわく「バスに乗っていった」らしいが、財布を持たず外出したため、どのようにバスに乗ったのかが疑問であった。が、改めて問いただすと、「料金は今度ね」と運転手さんから優しく言われたとか。

二度目は、一度目のバス小旅行の直後で、妻が近隣主要駅の駅前ロータリーにあるバス停のベンチを何気なく見ると、義母が座っていたという。嘘のような本当の話である。

さらに数年後には排泄トラブル(「トイレが分からない」「ズボンや下着を下ろして排泄することが分からない」などが原因で起こるトラブル)も始まった。

その間、娘二人を含めて、周辺の家族たちも、義母の変化に対して、ただ手をこまねいていたわけではない。最初はあたふたしていたものの、「地域包括支援センター」(※1)の存在を知り、不明な点は積極的にケアマネージャーに質問し、大いに介護の手助けをしてもらった。また、娘二人の家族は、夫が食事を作り、妻に負担を掛けないようにしていた。また、義母にデイサービスで過ごしてもらったり、特別養護老人ホームのショートステイを利用して宿泊させ、適度の休養を取りながらの介護であった。

※1 地域包括支援センター:介護保険法で定められた、地域住民の保健・福祉・医療の向上、虐待防止、介護予防マネジメントなどを総合的に行う機関である。2005年の介護保険法改正で制定され各区市町村に設置される。センターには、保健師、主任ケアマネジャー、社会福祉士が置かれ、専門性を生かして相互連携しながら業務に当たる。法律上は市町村事業である地域支援事業を行う機関であるが、外部への委託も可能である。

  • 7年目の変化

2018年1月、義母に変化があった。ショートステイ中に意識不明に。救急車で総合病院に運ばれ、半日にわたる検査の結果、軽い脳内出血が判明。2日目に、自然に出血が止まり意識を取り戻す。しかし、左手左足に軽い麻痺。

その後2か月近くリハビリの専門病院に入院。二足歩行器で歩けるようになり、トイレも自力で行けるところまで回復。その後、自宅で過ごし、デイサービス、ショートステイを利用して、以前の生活に戻った。

2018年9月、それまでそれなりに活発だった動きが次第に鈍くなり、食欲や意欲も低下し、終日寝ていることが多くなった。

2018年12月末、ショートステイ中に高熱を発し、救急車で総合病院に運ばれる。原因がなかなか分からなかったが、入院して二日目、脳にCTスキャンを行ったところ重度の脳内出血が判明。89歳と高齢のため、治療は不可とのこと。

担当医からこのまま病院にいれば、栄養剤を点滴して、しばらくこのままの状態が続くと告げられる。

さらに「今後、どうしますか?」と尋ねられる。その意味が一瞬分からなかったが、その真意は、「病院にいますか。それとも自宅に帰られますか」という問いだということが分かった。

義母本人の意志により、「一切の延命治療は行わない」旨を担当医に伝えた。義母は認知症になる以前に、亡くなった義父とともに、「延命治療を行わない」旨の文章を残していた。(※2)

 ※2 自らが望む人生の最終段階における医療・ケアについて、前もって考え、医療・ケアチームなどと繰り返し話し合い、共有する取り組みを「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」と呼ぶ。誰でも、いつでも、命に関わる大きな病気やケガをする可能性がある。命の危険が迫った状態になると、約70%の方が医療・ケアなどを自分で決めたり、望みを人に伝えたりすることができなくなるといわれており、自らが希望する医療・ケアを受けるために、大切にしていることや望んでいること、どこで、どのような医療・ケアを望むかを、自分自身で前もって考え、周囲の信頼する人たちと話し合い、共有することが重要とされている。 Aの義母は、このような機会を活用し、書き残していたため、家族の迅速な判断根拠となった。 参考:厚生労働省より
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/saisyu_iryou/index.html
https://square.umin.ac.jp/endoflife/shimin01/img/date/pdf/EOL_shimin_A4_text_0416.pdf

こちらから「自宅に戻った場合、あとどれくらいもちますか?」と尋ねた。その答えは「4、5日」というものであった。初めての余命宣告である。

自力でモノを食べられない、また無理に水分を与えると誤嚥性肺炎になる。あとは本人の残りの体力がどれだけもつか、それだけですとのことであった。

年をまたいで、2019年1月4日午前11時30分、本当に眠るように静かに息を止めた。翌1月5日、通夜。1月6日、告別式……。

  • まとめ

60代夫婦が90代の母を自宅に連れ帰ってから亡くなるまでの10日間。夫婦にはさまざまな葛藤や思いが巡る中、悲しみから静かに見送れたことへの安堵(しみじみとした情緒)へと変化していったそうだ。

生前より、あとに残される人のことを考え、身辺整理や医療処置の希望を託しておくなど、亡くなられたお義母さんの深い思いやりが込められているように感じられた。またAは、親の死の受容を通して、得たものも多々あったと話してくれた。

昨今、孤独死・介護心中(殺人)など、やりきれないケースがニュースなどで取り上げられることもある中、A家の介護事情は、親族の協力体制や行政など周囲からの援助を活用するなど、複数の人間が関わりながら対応できたケースであった。

少子高齢化による生産年齢人口の減少や地域の過疎化、介護サービスの需要増加などが急速に進む日本は、今や世界における課題先進国である。

社会問題が多出する現在こそ、私たちの問題意識を高める機会となり、社会全体の意識がアップデートされるぐらいに、一人ひとりが関心も持って考え、行動に変えていくときであると思う。