第四回【対談】少林寺拳法と介護技術①

2019/11/08

これまでのコラムでは触れられてこなかった、“少林寺拳法と介護技術”との関係をこの対談で紐解いていきます。

第1回 <少林寺拳法から介護技術が生まれた瞬間>

根津 良幸(ねづ よしゆき)
株式会社 One to One 福祉教育学院 代表取締役
埼玉医科大学 客員教授

自身が脳梗塞に倒れ、2年間で要介護5~要支援1の7段階を体験し、介護・リハビリ生活を送った中から自分たち家族が生きるための術(すべ)として家族のために編み出した「片腕1本でできるまったく腰に負担のかからない介護テクニック」を腰痛で悩む介護現場職員や介護を必要とする家族のためにこの術を公開し始め、年間5,000名を超える日本一受けたい講座の講師として活躍中である。
また、埼玉医科大学において1・2年生の必修科目として「【地域・介護医療】地域医療と介護の連携」、「【ラポール形成】患者・家族・医師との信頼関係」や3年生の必須科目「行動科学と医療倫理」の講義や埼玉医科大学国際医療センターにて新任ドクターに対してコミュニケーションの講義・指導を行っている。
著書に『片腕1本でできる 腰に負担のかからない介護技術』(ナツメ社)。

川島 一浩(かわしま かずひろ)
一般財団法人 少林寺拳法連盟 会長
少林寺拳法世界連合 理事・事務総長
一般社団法人 SHORINJI KEMPO UNITY理事
少林寺拳法 正範士八段 

死ぬこと以外になかった

穏やかな笑顔の根津先生の壮絶な過去を伺います

川島:今さらながら、もっと早くいろんなお話をお聞きできればと思います。それにしてもやっと話される機会を得たというのは、宗道臣塾がきっかけだったんですか。

根津:順を追ってお話すると、38歳のとき脳梗塞で倒れたんです。そのときは、すでに介護の道に入っていました。千葉県で社会福祉法人の認可を取って、工事も着工していたんですね。それで、実は緘口令を敷いたんです。なぜかというと、許認可事業ですから、私が倒れたということで周りに動揺が走っちゃう。要するに土地から全部手に入れて始めましたから。代表者が倒れたということが耳に入ったら、許認可の可否に関わってしまう……。なので、その緘口令を敷いたわけです。
そんな状況の最中、私の妻は38歳で重度のヘルニア、さらには子供が生まれたばかりだったんです。そんな中で私は、食べることも、そして排泄も自分ですることができなかった訳です。要は妻の手を借りなければ、日常生活が何もできなかったんです。しかし妻がヘルニアで、両親も高齢で……。赤ちゃん抱えて、負担を掛けてしまう。そのときに考えていたこと……。実は毎日考えたのは死ぬこと以外なかったんです。でも、自分の力で首をつることもできない。そこで考えたことは食べないことだったんです。
1日目、妻から「きょう食欲ないのね」。そして2日目、「身体の調子悪いの」って聞かれたときに、「ううん」しか言えないです。3日目、誰が見たっておかしいと思います。そして水分補給ができなくて喉がカラッカラになっているんです。普段でも健常者の方よりも3分の1くらいしか水分補給できないんですよ。なぜなら誤嚥しちゃうから。飲むことが辛いので、飲みたくないんです。なので唇がカサカサ。そんな状態の中で、食べないってことは、1週間あれば大丈夫なんです。自分でわかったんです。1週間あれば逝けると。
しかしその3日目、妻が、「わかった」って言ったんです。その日をもって妻も自分の食事と赤ちゃんのミルクを断ったんです。「一緒に逝きましょう」と。そして(涙ぐむ……)、いや、これは本気かなと思ったときに、妻がほんとにミルクを断った。赤ちゃん泣きっぱなしです。で、私も食べない。一緒に旅立ちましょうと。本気だったんです。これでは道連れにしてしまうと。そこで、妻が食事を断った2日目に妻を呼びました。僕にすれば5日経っています。もうこれがしゃべれる限界で、握力がなくなってきている中、紙に「ごめん!」って書いたんです。そして「水を持ってきてくれ」って書いたんです。でも、水を当然受け付けなくなっちゃっているんで、ゼリー状の水を口に入れながら、回復するのに2週間掛かりました。

少林寺拳法を介護から考えた

少林寺拳法と介護技術について熱く語ってくれました

根津:そしてその2週間の間、僕が考えたのは死ぬこともできない。ならば、どうしたらいいんだろうって。で、僕に残っているモノは何なんだって。何もないじゃないか。そして、もう工事に入っちゃっているけれど、このまま続けば許認可自体ダメになる。大変なことになるなぁと思って。
で、ある日のこと、気が付くと枕元に『少林寺拳法のススメ』があったんです。枕元に表紙を見せて落ちていたんです。実は、うちの妻も、まったくこの本を置いていないんです。誰も置いていないんです……。「ええ、少林寺拳法?」と思いました。そんなもの最初から頭にないわけですよ。生涯、少林寺拳法ができない。立つこともできないと思っていましたから。で、本をパッと開いたら、“自然の法則を利用する”。そんな文字が目に入ってきたんです。「自然の法則ってなによ?」と。それまで見たこともなかったんです。「えっ、最初に崩しありき」。僕が当時拓大で習った少林寺拳法は剛法中心であり、柔法は悲鳴を挙げる柔法だったんです(笑)

川島:はははは。

根津:なので、相手が力なしで倒れる崩しって、考えたこともなかったんですよ。そして“崩しありき”、えっ? 崩しって相手を倒すのか?というので見ていったんです。梃子(てこ)の理、車の理、ああ、これが理なんだ。あっ、少林寺拳法ってそういうものなんだと思ったんです。そして、まさに川島会長が説明されているわけですよ。若かりしころの川島会長が出ていたんです。
これは何かあるぞと。そして、あれ、倒れるってことは、ヘルニアの妻が、私が倒れる位置に頭を持って来れば、それは負担の掛からない位置だと。力を入れないで崩して倒れるということは、相手に反発の力を与えないことだ。ということは、その理を「人を起こす」理にできないかな。人を倒すことができれば、起こすことが絶対にできると。そこから級拳士の技の分解に入ったんです。

川島:逆の発想で……。

根津:はい。少林寺拳法を介護から考えたらどうだろうと。級拳士の技を倒すのではなく、起こすためにやっていったらどうだろうと。で、やったんです。そうしたら、できちゃったんです(笑)そして、今度は図解。それを図に書きながら、図と言っても、上手い図じゃないですよ。それを妻に見せて、介護してくれと。「生きるためにもう一度、僕が立ち上がる」と妻に言ったんです。そして子供をもう一度抱きたい。そのために「家族が生きる術を編み出す」と言ったんです。そして、それからまさに一からやっていったんです。当時の介護度5、4、3、2、1……それはリハビリも入れて取り組んでいったんです。リハビリにも少林寺拳法の理を使いました。関節が硬いということは、可動域が少ないからだよね。ということは、人が歩くときは? 裏固めにしても、えっ、どこの位置を中心にして考えられているんだと。ということで、段々わかっていったんですね。
そして会長が特別講習のときに言っていた、「少林寺拳法に力はいらない」という言葉を思い出したんです。

川島:なるほど。

根津:聞いたときは意味わかんなかったんです。何を言ってるんだと。少林寺拳法は、力だろって(笑)そして、ぶっとばしちゃえばいいんじゃないかって。何を言ってるのかなといったものを、僕が、ここで紐解いたんです。そして少林寺拳法で介護ができると。

川島:『少林寺拳法のススメ』、誰一人、ほんとに触っていなかったんですね。

根津:はい、この本は……(沈黙)なので、これは開祖が置いてくれたんだと。

第二回につづく