vol.47 5年先10年先私たちがしなくてはならないことは何ですか

2016/12/01

金剛禅総本山少林寺で秋に行われる恒例のだるま祭では、全国各地の関係者が物産を持ち寄り、境内で出店(でみせ)が開かれます。そんな中、今年はなんと、東日本大震災で被災した南三陸から道院長が三陸の海産物を携え、震災支援のお礼にと参加してくださいました。こんなに嬉しかったことはありません。まだまだ復興途中の南三陸からの道のりを考えると、頭の下がる思いでした。

震災から5年たった今も、まだまだ仮設住宅暮らしが続き、街の再建すらめどの立たないところがたくさんあります。にもかかわらず、2020年に東京オリンピックが決まり、資材の高騰と人手不足が震災復興の足を引っ張っています。 そして、今年4月に発生した熊本地震。半年以上たった今も上空から見ると、屋根のブルーシートは想像を超える数です。人手不足、資材の高騰、資材の調達難という現状を、地方の誰がクリアできるのでしょうか。今もなお続くボランティアや、民間でできることは限られています。

築地市場の豊洲移転に伴い、汚染対策としての盛り土問題で明らかになった、万人には考えられない高額な予算をかけての事業に対し、いちばん優先されるべき安全対策がノーチェックであったという恐るべき結果となりました。

こうなってくると、土壌汚染が分かっている所に、果たしてそこまで急いで移転する理由は何だったのか……と考えてしまいます。

2025年といえば、日本は超少子高齢化により、国民の5人に1人が75歳の後期高齢者という、世界初の異常な高齢化社会を迎えます。全ての負担が子や孫に覆いかぶさり、その後10年から15年で日本を埋め尽くしていた高齢者は減り、一気に人口が激減し、過疎を通り過ぎ無人の地域が増えるといわれています。そんな危機の始まりといわれる2025年に大阪万博を、という政府の方針には耳を疑いました。

これからの5年10年で、私たちがしなければならないことは何なのでしょうか。高齢者の介護年齢を引き上げること、そして何より、その介護の負担を一気に受ける次世代のサポート、そして将来の日本を支える子供を産み育てる環境整備と人的サポート体制が急務です。莫大な予算をかけて上物を造るなら、オリンピックや万博より東北や熊本の被災地であって、それ以外に「今が幸せならば」とでもいうように在任中の自分たちの満足のために上物を造る構想は頂けません。

アウン・サン・スーチーさんが来日され、8,000億円の経済支援が約束されました。世界貢献の必要性は理解していますが、30年前までの日本の蜃気楼にしがみついていては、日本の将来はありません。“身の丈”というものがあるのではないでしょうか。

三笠宮崇仁様がお亡くなりになりました。ご自宅での通夜式に参列させていただき、約30分間の黙祷の静寂の中でさまざまを思い起こしておりました。1967(昭和42)年に少林寺拳法錬成道場の落成式にご来臨いただいた当時、小学4年生だった私は、花束贈呈の役目に大変緊張したことを覚えています。それ以来、三笠宮寛仁様に代わられるまで、たびたび大会にもご臨席いただきました。ご紹介いただいたとはいえ、創始者・宗道臣がなぜ三笠宮崇仁様にお越しをお願いすることになったのか、当時の私は理解していませんでした。

ご逝去の報道の中で、三笠宮崇仁様は戦争中、中国南京に赴かれていたこと。そして戦後、南京大虐殺があったかなかったか、30万人はでたらめだ、という議論や報道が錯綜する中で、「あの戦争は間違っていた。一人でも虐殺は虐殺だ」とはっきりおっしゃる方だったと知り、「二度と戦争はしてはならない」という反省の上に立ち、日本の将来を憂い、平和のために人づくりをしたいと少林寺拳法を創始した宗道臣は、三笠宮崇仁様を信頼したのだと思います。

実際の経験を、教訓として伝えられる人はどんどん少なくなってきました。経験していなくても、イメージすることはできるはずです。「今がよければ……」、という考え方が通用する時代ではないように思います。