vol.34 SHORINJI KEMPOの考える平和とは

2015/06/10

日本の戦後70年の平和の歩みは、私たちに何をもたらしたのでしょうか。

急速な高度経済成長によって先進国の仲間入りをし、私たち国民の生活も豊かになり、「便利で清潔」が誰しも描く日本のイメージとなりました。そして日本人は世界からも勤勉で「おもてなし」を大切にする親切な国民(もしくは、国民性を有する民族)だと知られるようになりました。

しかし、バブル崩壊後失速した経済事情や少子高齢化によって日本の様相はみるみる変わり、様々な問題に直面するも”平和ボケ”という言葉が象徴するように、全体的な風潮として物事を深く考察する習慣も、政治や法律が自分たちの生活に直結する問題であるという認識も無くなってしまっているのかもしれません。

話題となったアメリカ議会で日本の首相として初めて行ったスピーチは、安保関連法案の改定を約束するものでした。

帰国後その約束を守り、次々と安保法制10項目が閣議決定されました。

今、国会で審議されているこの法案を、日本の一大事として私たち国民は真剣に考えなければなりません。中国や韓国との領有権をめぐる問題や、中国の軍事力拡大や中東地域をめぐるイスラム国問題などを理由に、力の抑止力の必要性を掲げています。全ては国民のためだと言わんばかりに「国民の命と安全を守り抜く」といわれても、東日本大震災の進まぬ復興や、汚染水流出続きの福島第一原発の状況を見て見ぬ振りでは説得力を持ちません。

憲法9条戦争放棄の前提は、正義の戦争など存在せず、戦争は憎しみの連鎖であり、力の抑止力が何を生むかをいやというほど知り尽くした日本の「平和主義」という決断ではなかったのでしょうか。

少林寺拳法の創始者 宗 道臣 は、そんなかつての戦争に向かって全てが正当化されていく時代と、その後戦争に突入し敗戦という現実を体験し、事が起こってからでは遅い、二度と同じ過ちを起こしてはならないと訴え続けました。政治も軍事も人の質によって左右される、社会の動きに敏感であること、おかしいことはおかしいと言える人間を育てなければならないという考えのもと、人づくりの手段として少林寺拳法を創始しました。

こんな話をすると、政治に踏み込まない方がいいとか、少林寺拳法は左翼かなどという人がいますが、それは違います。平和とは、誰かが築いてくれる環境ではなく、ひとりひとりが「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」という考え方を貫き生きることだと私たちは考えるからです。