Vol.01 けしからん。実にけしからん

2013/02/10

「こんなのおかしい!」「このままでいいのか!」「何とかしなくちゃ!」。これが宗道臣(そうどうしん)の少年時代から69歳で世を去るまでの、その波乱に満ちた生涯にわたって、常に心の底に流れていた思いでした。自分を取り巻く世間の不条理に、歯噛みし、怒り、時に涙する感性の人でした。

1964年(昭和39)年7月。宗道臣は日経連(旧・日本経営者団体連盟)の招きで、同連盟幹部との座談会に出席しました。少林寺拳法の総帥として、現代世相のありようについて意見を聞きたいという趣旨でした。参加者は一流大企業のトップ数人に一部政治家も交じるということでした。

当時の世相といえば、この前年辺りから学園紛争が激化し、各地で学生のデモが相次ぎ、とりわけ新左翼系のセクトが主導する大学では、バリケードを築いて学校を封鎖し、教授たちを吊るし上げるなどの騒乱が多発していました。政府は、紛争に実力で介入できるようにする目的で、「大学運営に関する臨時措置法」を国会に提出します。このいわゆる「大学立法」は、全野党と大半の大学やマスコミの猛反対の中での、実質審議抜きの単独強行採決でした。その結果、更に紛争を激化させることになりました。これら一連の学園紛争や、「大学立法は治安立法だ」とする市民も加わる広範なデモについて、大学少林寺拳法部の学生に強い影響力を持つ宗道臣はどう考えるかを確かめたい、という意図だったようです。

私は、その座談会を終えて帰館する宗道臣を高松空港で出迎えました。車に乗り込んで一息ついたと思うと、「けしからん。実にけしからん」と、早速、東京での座談会の話です。何が“けしからなかった”のか。訳を聞くと、彼らは宗道臣に言ったといいます。「『宗先生、今の学生の跳ね上がりの革命ごっこみたいなあれ、どう思いますか』『あんなのは、自衛隊でも治安出動させてね、戦車で踏み潰すか、機関銃でぶっ殺してしまったらいいんだ』てなことをぬけぬけと言うんだよ。君、どう思うかね。私は慄然としたよ」

話を聞きながら、やっぱり“そういうのおかしい”と、私も背筋が寒くなったのを覚えています。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝