Vol.02 おい、やめろ!

2013/03/10

耳から顎を覆うように、豊かに蓄えられた見事な白髭(ひげ)が、宗道臣(そうどうしん)のトレードマークでした。弟子たちと雑談を交わすとき、目を閉じて考えに耽(ふけ)るとき、ふと右手の指先で軽く髭に触れるしぐさは、何とも優雅なものでした。

宗道臣が突然髭を伸ばし始めたのは、1960(昭和35)年6月半ば、49歳のときからです。日米安全保障条約の改正を巡り、日本中が煮えたぎっていたころです。当時の岸信介首相が、日米間の軍事協力をより緊密、より対等にするという改正の賛否を巡って、世論は二分されていたのです。それでも当初は、国会での与野党の駆け引きを中心に推移していましたが、5月20日に自民党が単独採決を強行してから、事態は急変しました。新聞は一斉に「暴挙」と非難し、安保反対のデモは一般市民も加わり、国会周辺を中心に連日10数万、瞬く間に全国にも飛び火します。

その日、宗道臣は行きつけの理髪店で髪を刈りながら、実況中継に見入っていました。デモ隊が、口々に「アンポ反対!」を叫びながら国会正門を突破しようと、制服の警官隊ともみ合っているそのとき、異様な風体の右翼、暴力団の一群が、手に手に棒を振りかざし、喊声を上げてデモ隊に襲いかかります。素手のデモ隊は逃げ惑うばかりです。

「おい、やめろ!」。そのとき突然、宗道臣が叫びます。理髪師は、思わず剃刀(かみそり)を持つ手を止めました。まさに、髭にシャボンを塗ろうとする直前だったといいます。

「あのとき、師範(最初期の弟子は宗道臣をそう呼んでいました)が、テレビに向かって暴力をやめろと言ったのか、ひげを剃るのをやめろと自分に言ったのか、とっさにはわからなかった」と理髪師は述懐しています。この人は、少林寺拳法一期生の安田豊拳士(故人)。本部道院の近くで理髪店をやっていました。

「おい、やめろ」という宗道臣の大喝は、何よりも、日本人同士が二つに割れ、憎み合い、傷つけ合うのが許せないという素朴な真情でしたが、同時に、今後この国が、安全保障を軸に、戦前への回帰に舵を切るのか、それとも憲法九条の平和主義を貫くかの、これが大きな岐路にもなるという直感でもあったのです。怒号と暴力が入り乱れる映像に、今後への予感を重ね合わせながら、改めて「平和で豊かな国づくり」に懸ける己が使命に思いを馳(は)せてもいたのでしょう。宗道臣は結局、髭を剃らずに店を出ました。そして、終生髭を落とすことはなかったのです。

後に、事情を聞き知った弟子たちが「安保髭」と呼んだ宗道臣の髭は、年を経るごとに白さを増しましたが、平和に対する危機感は変わることなく、死に至るまで、この国の行く末に警鐘を鳴らし続けたのでした。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝