Vol.06 全員「シューゴー」!

2013/07/10

宗道臣の時代、私たち金剛禅総本山少林寺の本山に勤務する拳士職員は「山門衆(さんもんしゅう)」と呼ばれていました。当時は職員寮もなく、男性職員のほとんどが、本山の正門である山門二階の二段ベッドをねぐらとしていたからです。「山門衆」は、組織の事務方としての勤務が基本ですが、学生時代に合宿や各種講習会などで宗道臣の謦咳(けいがい)の一端に触れ、憧れをもって入山した若者が主体で、昔風にいえば「内弟子」でしたから、実質は修行門人。事務も施設管理も道場での指導も、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)すべてがおしなべて「作務(さむ)」であり、自己修行でした。

武道家という以前に、天性の教育者であった宗道臣は、未熟で半端な修行者にすぎない私たち「山門衆」を叱咤して、何とか一人前の指導者に育てたいという親心で臨んでいました。それに、何より宗道臣は若者たちが大好きで、彼らと膝を接して語るのが理屈抜きに大好きな人でした。

宗道臣の「山門衆」への教育を、私たちは「シューゴー」(集合)と呼んでいました。時には芝生の雑草引きの途中で、時には事務を中断して、時には行事の準備中に、「皆を集めなさい」と声がかかります。「シューゴー」です。誰か一人のミスであっても必ず「山門衆」全員です。“一罰百戒”、見せしめではなく教育なのです。

町なかの自宅から通勤していた40歳代の私とて修行門人の端くれ、りっぱな(?)「山門衆」。「シューゴー」は常に一緒でした。

その日は久しぶりに私が主役でした。私は剪定鋏(せんていばさみ)を手に、皆と一緒に境内のさんご樹の手入れをしていました。もともと不器用なのが、考え事をしながら上の空でやるものですから、実にいいかげんなやっつけ仕事だったのでしょう。傍らにいた宗道臣は見逃しませんでした。「鈴木君、皆を集めなさい」。「シューゴー」です。

「ここにある植木はみんな、全国各地の拳士たちが本山への帰山記念として植樹したものばかりじゃないか。君たちにとって、この木は何百本、何千本の中の一本にすぎんだろうが、これを植えた人たちには、心のこもった大事な大事な一本なんだ。そんないいかげんな手入れで枯らしてもみろ、どんなにがっかりするか。彼らの身になって考えなさい」。それは激しい雷鳴のように心に響き、しかし一方で、慈雨のように心に沁み入りました。私は、忘れていたことを思い出さされた気分で、恐れ入りながら納得していました。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝