Vol.07 軍靴の音(戦争の足音)が聞こえる

2013/08/10

「君たち、よく考えろよ。私には、軍靴(ぐんか)の音が聞こえるんだ」。宗道臣は、3時間を超す講話を、こう締めくくりました。1973(昭和48)年夏、恒例の大学少林寺拳法部本部合宿の一こまです。この年6月に、政府が防衛庁設置法と自衛隊の沖縄配備を決める自衛隊法改正を、衆議院で強行採決したことや、自民党の若手タカ派議員31名が、「青嵐会」を結成したことなどを引いて、日本が今、曲がり角にあると指摘し、一見平和なこの国の底の底に、戦前に回帰しようとするキナ臭い動きがあると警鐘を鳴らしたのです。

自らの経験を基に、戦争の悲惨を説き、歴史認識を語る宗道臣の講話は、大学生合宿に限るわけではありません。道院長・部長らの研修はもとより、各種の講習会でも、その他大会であれ、帰山行事であれ、ありとあらゆる機会に語りかけたものです。時にさりげなく、時に渾身の力を込めて……。それは、少林寺拳法創始の当初から、晩年、10数年の心臓発作との壮絶な闘いを経て、69歳の生涯を終えるまで、ついにやむことはありませんでした。「世界の平和と福祉に貢献せんことを期す」という少林寺拳法の拳士「信条」の文言は、それこそが、宗道臣自身の「背骨」にほかならなかったと、私は信じています。

宗由貴少林寺拳法グループ総裁から聞いた、少女時代のエピソードがあります。
 フランス映画「禁じられた遊び」を父娘で観た夜、
「ねぇ、パパ、もし今、爆弾が落ちてきたらどうする?」と由貴が聞きますと、「お前の上に覆いかぶさって守ってやる。心配するな」と、言下に宗道臣が答えたそうです。一瞬、間を置いて、由貴が泣きながら言います。「だめ、そんなことしたら、パパ死んじゃうじゃない」。宗道臣は、そんな由貴を抱きしめながら、「戦争って、そういうものなんだ。だから、二度と戦争はしたらいかん。何やかんやと言い訳したって、結局は人殺しなんだ……」。由貴は、このときの父娘の会話の場面を、いまだにはっきり思い出すといいます。

私は、この話を聞く度に、幼い娘にも真っ向正面から全身で戦争の残酷さを伝える宗道臣の反戦への誓いを、痛いほど感じました。
そして、私もまた、昨今の特定秘密保護法の成立や武器輸出三原則の転換、集団的自衛権論議などなどの一連の流れを見ながら、「軍靴の音が聞こえる」、だから「よく考えろ」と言った宗道臣の声が、40年の時を経て、今再び私の中で鮮やかによみがえっているのです。

※「禁じられた遊び」:1952年、ルネ・クレマン監督によるフランス映画。ドイツ機の機銃掃射で両親を殺された少女が、死んだ動物たちのために、墓地から次々と十字架を盗んできては立てるという無邪気な遊びを、戦争を背景に淡々と描いている。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝