Vol.08 日中友好に懸ける思い

2013/09/10

宗道臣は、中国に対して、一貫して熱い思いを持ち続けていました。大陸に渡ることを夢見て、一度ならず家出まで決行した少年時代。時には五族協和(*)の掛け声を信じて満州(中国東北部)・モンゴルの地を駆け巡り、時にはよき師と出会い武術に汗した青年時代。その後、拡大する戦火に心を痛めながら、なお日中両民族共栄の理想を追い続けた中ソ(ソ連〈現・ロシア〉)国境での日々と、敗戦により帰国するまで、半生を懸けた中国への思いは、宗道臣の中で血肉と化していたのです。

宗道臣は、帰国して創始した少林寺拳法の門人たちに対して、「日中友好なくしてアジアの平和はありえず、アジアの平和なくして世界の平和はありえない」と、事あるごとに説き続けました。また、「かつて日本人は中国人を侮蔑し、ひどい搾取をしました。ところが、自分たちのしたことを忘れ、いまだに中国敵視の態度をとり続けるおかしな人たちもいます。けれど、同じアジア人同士が殺し合うような時代を二度とつくってはいけない。そのためには、政府が消極的なら民間でいいじゃないか」とも言っています。

宗道臣のこの思いが、少林寺拳法の組織を挙げての友好運動として始動するのは、 1973(昭和48)年、日中国交正常化の成った翌年でした。廖承志中日友好協会会長を団長とする訪日代表団一行の歓迎演武会が日本武道館で開かれ、少林寺拳法も演武を披露したのですが、この日、宗道臣は日本武道館の貴賓室で、廖承志団長と胸襟を開いて今後の交流のあり様を語り合っています。これ以後、中国各界との文化交流を基本とする少林寺拳法の友好運動は、宗道臣一代にとどまらず、その志とともに現師家・宗由貴に継承され、地道に、着実に積み重ねられて、現在に至るのです。

80年5月、宗道臣はその生涯を閉じますが、学生たちへのほとんど最後の講話となったこの年3月の大学少林寺拳法部幹部合宿でも、日中友好について語っています。「日中両国の2000年の友好の歴史の中で、一時期、不幸な歴史もあったけれども、君たちはその原因を認識し、日中友好の意義をよく理解してもらいたい。二度とあのような不幸な歴史を繰り返してはならない。この思い、33年間、私は言い続けてきた。だから、君たちには、日本の近・現代の歴史を、きちんと勉強してもらいたいのです」

そして、時は移りました。今、尖閣問題に端を発して、中国を仮想敵国といわんばかりの言説が流布されています。こういう時代であればこそ、私は、宗道臣の日中友好に懸けた熱い思いを重く受け止め、現今の時流に強く異議を申し立てるのです。

*中国で清末から唱えられるようになった民族協和論。孫文も、辛亥革命に際して、漢・満・蒙・回・蔵の「五族協和(五族共和)」を唱え、中華民国の統合を目指した。しかし、もっともよく知られる「五族協和」は、戦前の日本が中国東北地方に建国し、牛耳った傀儡国家・満州国の国家イデオロギーとしての「五族協和」である。日本は、満州国を、表面的には多民族国家として運営していくことを構想した。五族とは、満州事変前から満州に居住していた〈漢族・満州族・蒙古族・日本人・朝鮮族〉を指す。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝