Vol.09 とっさの早技

2013/10/10

宗道臣の晩年、常態となった心臓発作の狭間を縫い、静養に出かけることがありました。静養といっても、せいぜい数日間。年中立て込んでいる本部行事の、わずかな隙間を見つけてのことでしたが……。行き先は山陰か神戸が多く、お供は大抵、恵美子夫人だけでした。

そのときは神戸でした。定宿は神戸大丸に程近い「オリエンタルホテル」。珍しく私もお供を仰せつかり、恵美子夫人運転の車で同行しました。夏恒例の指導者講習会や大学クラブの合宿が終わり、ほっと一息という頃合い。秋風が立ち始めた1976(昭和51)年のことでした。

「“ヒラマツ”へ行く」と宗道臣が言います。神戸到着の翌日でした。三宮センター街の東側ブロックに店を構えていた「平松カメラ」。カメラ好きの宗道臣のひいきの店でした。夫人に代わって私がお供しました。歩きです。センター街はホテルから近いうえに、元町やセンター街を歩くのも好きでしたから。

新型のカメラ談義に花が咲き、店を出て、センター街を東に抜けるとあいにく雨になっていました。予報では“夕方から雨”だったので、ホテルが傘を持たせてくれていました。宗道臣には愛用のステッキ代わりにと、見るからに丈夫そうな洋傘でした。

「車にしよう」。宗道臣が言い、すぐ近くのタクシー乗り場へ行きました。阪急三宮構内の乗り場です。すでにかなりの行列ができていました。雑談を交わすうちに、それでも次々と行列はさばけて、私たちの前はお婆さん一人。そして程なく“次”が来て後部座席のドアが開き、お婆さんが乗り込もうとしたちょうどそのとき、突然、若い男が割り込んできました。「オイ、どかんかれー!」とわめきながら、前のお婆さんを突き飛ばして自分が乗ろうと腰をかがめた、まさにその瞬間。男はそのままスライディングして一気に後部座席の閉まっているドアに頭から激突! そして、やおら体を座席から引き離すと、右手で頭を押さえ、顔を真っ赤にして「コラァー、何さらすねん!」「どいつやー?」と行列をにらみ回します。その場の人たちは、みんな狐につままれたような顔です。あっという間の出来事に、何が起きたのか分からなかったのでしょう。私は反射的に宗道臣を見やりました。宗道臣は右手に洋傘の先端の尖った部分をつかみ、湾曲した「持ち手」の部分を下にし、左手で髭をしごきながらニコニコしています。男が乗り急いで前屈みになるのを見計らって、とっさに傘を逆さまに持ち替え、傘の柄で足払いをかけたのです。

男はひとしきりわめくうち、宗道臣と目が合います。そのとたん、男は肩をすぼめ、お決まりの捨てぜりふさえ残さぬまま、逃げるように人混みの中に消えていきました。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝