Vol.10 キョロキョロするな!

2013/12/10

そのときも、宗道臣のお供で神戸へ出かける途中でした。晩年、出張でも静養でも、宗道臣は夫人の運転で出かけることを好んでいました。二人で、ゆっくり夫婦の会話を楽しみながらです。少林寺拳法の総帥として、内外ともに多忙を極めていた宗道臣には、数少ない癒やしのとき、空間だったと思います。

ごくごくまれにですが、「一緒に行かんか」とお誘いを受けることがありました。弟子であり職員でもある私には、宗道臣の誘いは指示・命令に等しく、もちろんいなやはありません。実はわくわくするほど嬉しいのですが、ちょっぴり緊張もしていました。後部座席にしか乗れないからです。助手席は宗道臣専用なのです。宗道臣は、いくつになっても少年のような好奇心の塊のような人でしたから、四方に視野が開けた助手席が好みだったのです。私は後部座席でかしこまっていました。

あれは1973(昭和48)年の秋でした。夏の本山・本部行事を全て終えての、つかの間の静養でした。車は、のどかに晴れた備前(岡山県)の田園を走っていました。夫妻にとっては走り慣れた道、見慣れた風景です。淡々とした日常の会話が続いています。宗道臣は、恵美子夫人と娘・由貴には、何事によらず一切の隠し事をしない人でした。自身の見たこと聞いたこと、感じたこと、やったこと、やろうとしていること、なぜそうしたか、そう思うかなどなどをです。私も楽しく聞き入っていました。

そのとき突然、「鈴木君、向こうの、あの家の、屋根の勾配、どう思う?」と、声が降ってきました。まさに降ってきたとしか言いようがないのです。何しろ、「向こう」がどっちで、「あの屋根」がどの屋根か、皆目分からないのですから、その「屋根の勾配」について意見を申すどころの話ではありません。宗道臣は、助手席で進行方向を向いたまま、手も髭(ひげ)をなで続けるいつもの考えるポーズのまま。無情にも車はそのまま走り続けています。必死に首を動かし伸び上がりするうちに、「あの、向こう」も「あの、屋根」も、はるか後方に消えていきました。それでも未練げに「あの、向こう」を求める私に、雷鳴が轟(とどろ)きます。「キョロキョロするんじゃないッ!」、続いて「八方目(はっぽうもく)ができとらん!」。

八方目は目配りのことです。目を動かさずに、前方180度内の範囲にある物や動きを見て取るのです。一枚の葉っぱに目を奪われて樹木の全体像を見落とさないようにです。

目配りは気配りでもあります。全体から部分へ、部分から全体へ。更に、「何でも見てやろう」への視野の広がり。宗道臣が助手席を好んだのは、単なる好奇心だけではなかったようです。
以来、私は事情の許すかぎり、努めて“助手席”に乗るように心がけています。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝