Vol.11 せいぜい2票だな

2013/12/10

「何をしに見えたのですかな」。型どおりの初対面の挨拶を交わした後、宗道臣はいきなり切り出しました。来客は、当時少壮実業家として売り出し中で、近く国政レベルの選挙に立候補すると噂される人。場所は、管長公館応接室。時は、1973(昭和48)年初夏。ある道院長からの紹介でした。

「あ、いや、言いにくいことを初めに申し上げておきましょう。私の独り言だと思ってお聞きください」。あくまで、にここやかに宗道臣は続けます。不意を打たれた来客は、背筋を伸ばし固まっています。

「近ごろ、あなたが次の参議院選挙に全国区から立候補されるようだと、いろんなところで耳にします。もし、あなたの今日のご訪問が、“宗道臣と知り合いになれば、少林寺拳法の拳士や関係者の1票に、期待が持てるかもしれない”ということでしたら、このままお帰りになることをお勧めします」。私はそばで聞きながら、はらはらしていました。

「確かに、少林寺拳法の門を叩いた拳士は50万を超えていますし、その中には、私が頼むと言えば、少々の無理は聞いてくれる弟子も少なくはないと思います。けれども、こと選挙に関しては、私は一切頼まないことにしているのです」「それに、あなたのことは、あなたをお連れした、この道院長の話や世間の噂で聞きかじっている程度で、よく存じ上げません。ですから、私自身の1票でさえ、今日の出会いから始まるかもしれないあなたとのお付き合いの中で、“この人は、私と政治信条が同じだ”、少なくとも“同じ方向を目指している”と納得しなければ、差し上げるわけにはいきませんな」「まあ、そういうわけで、あなたが少林寺拳法から期待できる“票”は、私が納得したらという留保条件付きで1票か、せいぜい家内を口説いてみて、合わせて2票ぐらいのものでしょう……」。豪快な宗道臣の笑いにつられるように、客人も苦笑いでした。

宗道臣は、指導者講習会でも、学生の本部合宿でも、政治に対して、常に強い関心を持つようにと指導しました。政治がよくならねば社会はよくならない、政治から決して目を背けるなと説いたうえで、「当面、君たちにできる政治行動は、君たち自身の投票行動ぐらいだ。だから、一層慎重に、平素から、政党・政治家の言動を含めた政治への目配りを怠るな。そして、棄権だけはしてくれるな」と呼びかけたものでした。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝