Vol.11 正しい情報の見極め力と判断力を!

2013/06/01

ネット社会の便利さにも、いつの間にか私たちは慣れてしまっているようです。便利なものができると、その環境を整備すれば可能性が広がる……と人は考えます。しかし、中にはそれを悪用して不正な利益を得ようとしたり、姿が見えないことをいいことに、他人を傷つける道具として使う人まで出てきました。
 子供社会でもネットいじめが問題視され、それによる被害者の自殺まで起こっています。また、ストーカーがネットで嘘の書き込みをして情報提供を得、目的の女性の引っ越し先を見つけ出し、殺人に及んだという事件もありました。ここで今、最も警戒すべきは「書き込み」だと思うのです。私は、知らない方との情報や意見の交換は、決してネット上ではしません。自分も惑わされるかもしれないし、誤解されたり、時には利用される可能性すら疑うからです。インターネットでの調べものもしますが、情報を自分なりに吟味・精査する目を持たないと危険だと思っています。
 ここ最近、ネット右翼……通称ネトウヨといわれる人たちが問題視されています。ネットで無責任な情報を垂れ流し、それに対し書き込みで「へ~、そうなんだ」と軽いノリで便乗する人がどんどん増え、あげくの果てにネットで呼びかけられたデモ行進にたくさんの人たちが参加し、在日韓国・朝鮮人の人たちに信じられないようなヘイトスピーチ(差別的表現)や罵詈(ばり)雑言を浴びせています。明らかに扇動です。
 顔が見えなきゃ怖くない、皆でやれば怖くない、ということなのでしょう。子供じゃあるまいし、と思いますし、不愉快極まりない言動であり、日本人の品格を問われる光景です。同じアジアを構成している隣国同士、トラブルがあったら解決に舵(かじ)を取るのが大人の態度だと私は思います。首相やある市長のツイッターがよく話題になりますが、何の意味があるのかよく分かりません。つぶやくことが悪いわけではありませんが、ネット上のつぶやきは瞬時に拡散し、多くの人の目に触れて心に入り込みます。
 私は立場上、多くの人の前に立つことや、またスクール形式での質疑応答や初対面の方との面会の場も多くあります。人にものを伝える難しさは嫌というほど経験しています。物事の背景を十分に説明せずに話を進めると、悪意がなくてもとんでもない誤解を受けることがあります。また、人から人へ伝わると、伝言ゲームのように白いものでも黒になりかねません。ですから、悪意のある人が利用しようとしたならば、簡単に信頼関係を破壊したり、個人のイメージを変えてしまうこともできるのです。公の責任ある立場にある人は、個人的発言が個人的発言として済まされる場所は限られています。自身の家庭と、そのほかはごく限られた、本当に信頼関係の築かれた親友くらいのものだと覚悟して発言すべきでしょう。これは、人を信用しないということではありません。誤解も曲解も誤報もさもありなん……と覚悟を持つことだと思います。
 読み手の気軽で無責任なつぶやき返しが、ネット炎上といわれるほど過激になっていく昨今。検証もせず鵜呑(うの)みにし、自分の考え方を固めてしまうことのないよう、情報社会だからこそ、正しい情報の見極め力と判断力を養いたいものです。