Vol.12 しょうもない人物を連れてくるな!

2014/01/10

それは、1972(昭和47)年の暮近くでした。来客はある道院の後援者という初老の男性で、型どおりの時候の挨拶が終わると、いきなり、その後援者が、「先生、先生のお書きになった『教範』、すごいです。本当にすごいです」というのです。少林寺拳法の関係者が「教範」という場合、宗道臣の著「少林寺拳法教範」を指します。少林寺拳法創始の初期、指導者用として52年8月に初版を出して以来、幾度となく推敲改訂して版を重ね、この当時で本文55ページ、写真109枚。文字どおり宗道臣畢生(ひっせい)の力作です。しかし、数ある来客の中で、組織がすごい、とか大会の規模がすごいという人がいても、いきなり「教範」がすごいといわれることはめったにありません。さすがに宗道臣も戸惑い気味に、とりあえず「そうですか。いや、ありがとう」と返します。そして、「で、あなた、どこがすごいと思われたですか。あれには少林寺拳法を創始した動機や目的から始まって、宗教や武道論など、それに技法もかなり詳しく書いたつもりです。それの、どの分野に興味を持たれたのでしょうか。参考までにお伺いしたい」。「いえ、どの分野もこの分野もありません。全部です。とにかく、これだけ広範にわたって、これだけ大部のものを、大学も出ておられない先生お一人で書かれたのがすごいです」。この辺りから、後援者の話が熱を帯びてきます。「これだけの分厚い立派なご本の著者なら、博士号を持っておられないのが不思議というものです」「先生、今からでもこのご本の著者として博士号は取れるのです。ご本にも箔が付くというものですし、門下の皆さんの誇りにもなりますし」「実は私、アメリカのこういう大学の経営に深く関わっていまして(と、ここで名刺が出てきます)、必ずお力になれますから……」。宗道臣はこの間無言でしたが、そこで突然、「お話は分かりました。私はそんなお話には興味も関心もありません。門下生たちも、私が博士でなかったからといって、今さら軽蔑するとも思いませんがね。私は所用がありますので、失礼します」と言って席を立ち、応接室を出ていきました。

成り行きに慌て、宗道臣の後を追った道院長に、宗道臣はぽつりと言いました。「しょうもない人物を連れてくるな!」。次いでもうひと言、「自分の後援者ぐらい把握しておけ。博士号と引き換えに、資格(名誉段)欲しさに割り込もうとするのがいるからな」。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝