Vol.13 酒の席でしかホンネを言えない奴は……

2015/02/10

宗道臣は、酒を嗜(たしな)まない人でした。しかし、弟子が飲むことまで禁止したわけではありません。管長(当時)・宗道臣主催の役員忘年会もあれば、本山・本部職員の花見も毎年の恒例でした。
元日には、近隣の道院長が幹部を伴って管長公館へ年始の挨拶に来るのも恒例でしたが、その際には、宗道臣夫人手作りの手羽先などを酒肴に、日本酒が振る舞われました。全国級の大会などの前夜祭にアルコールは欠かせません。その他、年中とまではいいませんが、結構、宗道臣同席で飲む機会は多かったように思います。

もっとも、昔の“うち”の酒席では、「酒は楽しく飲め。酒に飲まれるな。よく、『酒の席でもあるまいし、ホンネが言えるか』なんて、くだらんことを言う奴がいるが、そんな奴は、しらふのときにはホンネを言えぬ“猫っ被り”だぞ」が宗道臣の開会宣言のようなものでしたし、それも早くて30分、へたをすれば軽く一時間を超すこともあるわけで、その間、全員正座でかしこまっての謹聴ですから、正直、たまったものではありませんでした。が、当然、宗道臣在席の酒席で、酒に乱れる不心得者が出ることは一度たりともありませんでした。
 その代わり、宴が始まると、宗道臣は終始笑顔を絶やさず、誰彼なく話しかけ、話の中に入り込み、つられて一同、賑やかに和やかで楽しい刻を過ごしたものでした。

宗道臣が酒に飲まれる者を嫌うのは“義父のせいもある”という話は、宗道臣から何度も聞いています。
 母の再婚で義父となったのが、宗道臣4歳のときですが、仕事がうまくいかず、生活が不不安定だったせいか、酔っ払っては妻子に暴力を振るうといった人物だったようで、結局は深酒がたたって、わずか4年余りで亡くなるのですが、この義父に、幾度となく無理やり酒を飲まされたうえ、踊らされたことが忘れられないといいます。時には、優しい母に殴る蹴るの乱暴を加えるのに我慢がならず、義父にむしゃぶりかかっては手ひどくはね飛ばされ、口惜しくて、懲りずにまたかかっていったとも。「たぶん、これが、酒に狂う奴を嫌う理由だろう」と、宗道臣は言いました。

それはそれとして、「自信がないなら、いっそ飲むな」という宗道臣の一声が、今も私の「食前酒」代わりですし、「今夜も楽しく飲むから、今夜も飲むぞ!」が、私の口実でもあるのです。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝