Vol.14 これがうち流の“地鎮祭”

2015/03/05

創始から68年がたち、少林寺拳法発祥の故地に立つ一群の建物(宗道臣の旧居と旧道場その他)が、老朽化などの事情で、移築または再建することになりました。まずは一帯を更地にしたうえで、記念館や本部道院その他幾つかの少林寺拳法の記念史的建物を復元しようというのです。近々工事にかかるのですが、着工前の施工業者との打ち合わせの際、地鎮祭をどうするかと尋ねられたといいます。着工の際に地鎮祭をやるのは、ほとんど常識ですから、これは地鎮祭をやるか、やらないかではなく、どういうふうにやるか、つまり、施主は仏教の「金剛禅総本山少林寺」だから、神職を招いてお祓いをして……という普通のやり方でいいか、それとも少林寺独自のやり方があるのかを聞かれているのです。で、私は宗道臣時代の建築を思い出していました。

1969(昭和44)年、錬成道場南側に金剛禅総本山の本堂(第二錬成道場)建立が決まり、整地も終わった10月に着工の運びとなりましたが、その折に今回と同じく“地鎮祭はどうしますか?”という話に遭遇したのです。
当時、事務局長に就任して日も浅かった私は、とりあえず、“日取りは吉日を選ぶとして、さて金剛禅式の地鎮祭はどうやるんだろう”と気楽に構えながら、宗道臣管長(開祖の当時の役職)との打ち合わせに臨んだのです。ところが……、

「地鎮祭をやるなんて、誰が決めたんだ!」「吉日を選ぶというが、吉日って何なのだ!」いきなり大雷が落ちてきました。
「うちは地鎮祭なんかやらない。地鎮祭をやろうがやるまいが、怪我するときは怪我をする。体の不調や不注意だとか、工具の不具合とかなど、事故が起きるには、起きるだけの原因があるはず。神の祟りのせいにするのは筋違いだろう」。しかし最後に、「そうはいうものの、工事現場で仕事をする人たちには、そこは長年の習慣。地鎮祭をやらないことが気になって、仕事が手につかないようでは会社も困るだろう。地鎮祭は決してやらないが、基礎工事に取りかかるに当たっての“けじめ”だけはつけておこう」。

宗道臣は、当時、少林寺拳法では昇段のつど、新しい資格の武階バッジと交換する制度になっており、本部に返却されていた大量の“使用済み武階バッジ”を用意させると、「これは拳士たちの尊い汗の結晶だから、本堂の基礎にふさわしいだろう」と、一つかみずつ丁寧に埋めていきました。そして、立ち会った工事の人々に、「これが、うち流の地鎮祭だな」と、髭(ひげ)をなでながら豪快に笑ったものでした。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝