Vol.15 何かあってからでは遅いのだ

2015/03/25

宗道臣が管長だった当時、少林寺拳法本部の倉庫には、米軍の払い下げ品が詰まっていました。ヘルメット、作業服、幅広ベルト、安全靴、それにスコップやつ るはし、各種工具類、非常用防災用品です。私たち男子職員・山門衆(住み込み門人)も、ふだんの作務に使っていましたが、10人足らずの男手にはあり余る 数量が積まれていたものです。また、別の倉庫には、石けん、トイレットペーパーなどの日用雑貨も多数備蓄されていました。極め付けは、非常食の乾パンでし た。乾パンには正直、参りました。何しろ、数が半端ではなかったうえに、非常食とはいうものの、いつまでももちません。油が回って食べられなくなる前に、 新しいものと入れ替えます。古くなったものは臨時の”おやつ”。全職員で気合いを入れて頑張るのですが、これが何ともまずい。みんな、ほとんど涙目だった のが忘れられません。”平時にあって有事に備える”。宗道臣の危機管理は徹底していたのです。

宗道臣は、本部職員にも道院長ら少林寺拳法 の指導者にも、「いつ、何があってもおかしくない」と説きました。「自然災害だけではない。公害も環境破壊も、昭和初期の再来を思わせるような昨今の危険 な風潮も、それらが引き金となって、いつ身の回りに火の粉が振ってこないとも限らない」「いざというときのためには、心構えはもちろんだが、日ごろからの 準備や稽古も欠かしてはならない」……
しかし、「人間、一人でやれることはたかが知れている」「ふだんから、何かあったときに助け合える人間関係 ができていないと、何かあってからでは遅すぎるのだ」。だから、「近隣の幾つかのブロックが寄って、“行動隊”をつくらんか」。そして、「いざというとき にこそ、心あるものたちが団結して、困っている人たちのために行動せんか」。
少年時代には単身で関東大震災に遭遇し、17歳で中国大陸へ渡ってから34歳の敗戦まで、戦火の中で生き抜いた自身の体験を基に熱く呼びかける宗道臣の話には、そのつど納得させられたものでした。

しかし、当時の私は(恐らく多くの幹部も)、“頭で分かった”だけだったように思います。さまざまな“有事”にかかる宗道臣の強烈な危機感や、時代に対する鋭い洞察力にも感じ入りはしましたが、心の底では「よもや」とたかをくくっていたように思います。

「他人事にするな。みんなで何とかしようじゃないか」……。 
1995(平成7)年の「阪神・淡路大震災」や、2011年の「東日本大震災」を体験した今では、宗道臣の呼びかけが今更のように身にしみるのです。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝