Vol.16 意図的な無視は、人間放棄

2013/11/01

自分の気持ちを封じ込めること、ありませんか ?

 日常生活の中で、「こうしたほうがいいのになあ」と何となく思うことや、「おかしい!」と矛盾に感じることに対する怒りや疑問といった率直な思いを、どれだけ表現することができているでしょうか。

 「ここで言うと変な目で見られやしないか」とか、「自分が言わなくても誰かが言うだろう」と、せっかく働いた感性を封じ込めていることがあるのではないでしょうか。

 「意図的な無視」というのがあります。長年にわたり、住民の多くが呼吸器疾患を抱えてきたアメリカのある町を例にとり、苦しみながらも住民は沈黙し行政も何の調査もしていなかったことに疑問を持ったある女性の、「他人にどう思われるか」を基準としない“諦めず恐れない”行動によって状況が一変したという話です。原因は、町のあちこちに堆積していたアスベストだったといいます。要するに、そこにはその町を支えてきた産業が大きく関係していたというわけです。「おかしい……」と誰しもが感じてはいても、生活に直結する問題に、自分から触れることはタブーだったのでしょう。

 「いつか、誰かが解決してくれるだろう」と、後世に先送りすることは愚かだと思います。“今”に感性を働かせ、“先”をイメージすることで、未来を創造することができるのです。自分たちさえ何とかなれば、あとのことは知らない……では、人として生まれてきた意味がありません。
 震災によって、原発の安全神話が完全に崩壊し、その上、使用済み核燃料の最終処分場など後始末の問題も解決していないにもかかわらず、今でも「再稼働」と「他国への原発ビジネス」を堂々と発信する日本に生きる私たちです。方向転換が大変でも、たとえ不自由を強いられることがあっても、子供や孫の世代にツケを回してはいけないと思います。

 私は、人はひとを幸せにするために生まれてくると信じています。「見ざる・言わざる・聴かざる」を決め込み、意図的な無視をして生きるのは、人間であることを放棄するようなものです。困難に立ち向かい、未来を切り開く勇気を養う少林寺拳法でありたいと思います