Vol.18 あなた、達磨の子でしょ

2015/06/15

以前、光文社の「カッパ・ブックス」シリーズで、宗道臣著『秘伝少林寺拳法』という書物が出ていました。今は絶版になっていますが、1963(昭和38)年の発行で、出版当時はベストセラーとされるほど、かなりの人々に読まれたものでした。特に70年代には、この本を読んで少林寺拳法に入門した人も多く、さらに大学クラブの本部合宿や各種講習会などで宗道臣の魅力に取りつかれ、やがて道院長や支部長になった人たちも少なくありませんでした。末尾に少林寺拳法の技法が写真入りで紹介されてはいるものの、主眼は、宗道臣の「自分は、何故、何のために少林寺拳法を創始したか」という“創始の動機と目的”が、熱く、しかし実にわかりやすく書かれているところにありました。

宗道臣は、いつも、全身からあふれ出しそうなほど、“人づくり”と“世直し”の思いを抱えて生きている人でしたし、生涯、その志を伝え続けてやまない人でした。そんな宗道臣の真髄は、“語る”ことでした。聴衆が万単位の大会などの講演から、数十人単位の講義、個人との対話まで、縦横無尽に、自由自在に、意を尽くして……。“書く”ことが苦手だったのではありません。何よりも主著「少林寺拳法教範」があります。740ページに及ぶ膨大なものです。光文社以外から数点の著書も出版されています。部内教育用に数多くのテキストを著してもいます。ただ、印刷物として“書く”ものは、「少林寺拳法教範」のように、やや硬く、教科書的なのです。その点、このカッパ版『秘伝少林寺拳法』は、大きく違っていました。

もともと「カッパ・ブックス」は、光文社の出版局長であった神吉晴夫氏が、知識人向け教養新書として、他者の追随を許さなかった「岩波新書」に対抗して、大衆向け新書路線として54年に売り出し、ヒットを重ねた名物シリーズだったのです。神吉氏のたっての依頼で書き始めた宗道臣でしたが、何とか苦労して書き上げた初稿を、神吉氏はそのまま送り返してきます。「これは面白くないです。カッパ・ブックスというのは、高校生が読んでも面白いという本なんだから、そこを考えて書き直してください」と神吉氏は言うのです。また、苦心して全面的に書き上げても、また、送り返されます。面白く話すことと面白く書くことは、どうやら別のようです。同じようなやり取りが何度か繰り返された末、「もうやめた!」と宗道臣は言いました。対して、神吉氏は言います

「宗先生、あなた、達磨の子でしょ。達磨さんの本を書いているんでしょ。だったら、七転び八起きじゃないですか」。さすがに宗道臣も、納得せざるをえなかったといいます。

神吉氏は、後に光文社の社長となり、退社後、かんき出版を興した、今でも名編集者の一人として名を残す人物です。そんな神吉氏の殺し文句に、宗道臣もおとなしく机に向かうしかなかったということでしょう。

鈴木義孝

1930(昭和5)年、兵庫県神戸市に生まれる。大谷大学文学部卒業、姫路獨協大学大学院修士課程修了。16年間の中学・高校教員生活を経て、69年より 81年まで、金剛禅総本山少林寺、社団法人日本少林寺拳法連盟、日本少林寺武道専門学校の各事務局長を歴任。金剛禅総本山少林寺元代表。現在、一般社団法 人SHORINJI KEMPO UNITY顧問。194期・大法師・大範士・九段。

鈴木義孝