vol.20 前橋中部道院 道院長 萩原直樹

2012/01/26

教える=学ぶ、道院長になって自分を変えていこう
前橋中部道院 道院長 萩原直樹

大導師・正範士七段、446期生。1967年3月、群馬県生まれ。86年、群馬大学少林寺拳法部に入部。90年、群馬大学教育学部を卒業後、群馬県内の公立小学校に赴任。94年2月、前橋中部道院設立。中学校の教員を経て、現在、地元前橋市の公立小学校に勤務している。

前橋中部道院 道院長 萩原直樹

道院長になろうと思ったきっかけは?
大学卒業後に転籍した道院で数年修行させていただきました。あるとき道院長に呼ばれ、「もう一つ道院を増やしたいんだが、やってみないか?」と言われました。これが最初の出来事です。もちろん、その場で即答はできず、2週間ほどは考えました。

お世話になった道院長(師)、大学少林寺拳法部時代の監督があまりに偉大な方だったので、考えるほど「自分にできるのか?」という思いが巡りました。またその当時、道院内には私より先輩の幹部もおられ、「先輩を差し置いて……」という思いもありました。ここ最近でこそ若手指導者の育成が喫緊の課題となっていますが、当時まだ20代半ばという年齢もあり、大いに考えたところです。

悩んだ末、「指導者にならせていただくことで、更に自分を変えていこう」と決心するに至りました。人間には一生の中で転機というものがあるといいますが、私にとりましてその大きな一つであったことに間違いないと思っております。

 
aun_genki_vol05_02道院での指導方針や、指導方法の工夫を教えてください。
一番力を入れているのは、基本動作の確認です。特に少年部や一般部の初心者の方には、正しい形を身につけていただかなければなりませんから、気をつかいます。まだ下書きも色塗りもされていない真っ白な画用紙みたいなものですから……。逆に言えば、無限の可能性があるということでしょうか。その分、指導する側の責任は重いですね。

また技術指導においては、釈尊の対機説法ではありませんが、個々の門下生のレベルに合った必要なポイントを、より具体的に示すよう心がけています。変化が見られた際には、称賛の言葉掛けも忘れないようにしています。褒められるのは何歳になっても嬉しいものですから。

 
道院長になって出会った感動のエピソードをお聞かせください。
感動のエピソードというほどのものではありませんが、以前勤めておりました小学校のクラスの教え子が、ある日1通の手紙を持参してきたことがあります。それは、地域のお年寄りからの、便せん数枚に渡る手紙でした。内容は、地域の行事が公民館で行われた際、小学校の女児(手紙を持参した子)が散乱しているスリッパを全部、一人で揃えているその様子に感動したというものでした。

お年寄りはその子に「どうして揃えているの?」と尋ねたようです。当時その子は小学3年生だったと思いますが、こんな幼子が黙々とやっているその姿が不思議だったのかもしれません。

それに対しその子は、「学校の担任の先生が履物を揃えることの大切さをよく話しているから」と答えたようです。私としては道院の子どもたちに常々話している脚下照顧を学校の子どもたちにも指導しているだけのことでした。単純に校内や家庭でできるようになってほしいと思ってのことで、まさかそんな地域の場で実践してくれる子がでるなど……。

これも小さな小さな布教活動になったのかなと振り返って思います。子どもの純真さにはいつも心が動かされますが、また一方で指導者の発する言葉の重みも感じずにはいられません。

 
道院長として今後挑戦したいことや夢はありますか?
WSKO(少林寺拳法世界連合)の指導者になって世界中を駆け巡り……。なんてかっこいい夢など描いていません。仕事を定年退職後、小さな子どもたちと一緒に少林寺拳法ができていたら幸せです。平凡ですみません。

 
aun_genki_vol05_03最後に、将来指導者を目指す全国の拳士にエールをお願いします。
指導者になって、教えているつもりが、子どもたちや一般の方々に自分が教わっていたような気がします。「教える=学ぶ」ということでしょうか。道院設立20年がちらほらと見えてきたこの頃、そんなことを感じたりしています。

子どもたちからすると、道院長はスーパーマンなんだそうです。人を教え、育て、更には組織を運営していくことは決して容易なことではないと思います。ですが、今のこの社会に必要なのは、いろいろな意味でのスーパーマンの存在ではないでしょうか。

道衣をまとった若いスーパーマンが全国各地で誕生することを期待してやみません。