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vol.21 柿沼實 少法師正範士七段 198期生

2012/03/27

指導者のひと言が与える影響と重み、すべては人の質にある
柿沼實 少法師正範士七段 198期生

1937(昭和12)年2月、宮城県生まれ。高校卒業後、57年より40年間、神奈川県警察の刑事課・地域課に勤務する。65年9月、増徳道院に入門。69年9月から関東学院高校部長・監督、70年から神奈川歯科大学監督を務める。94(平成6)年10月、東戸塚道院設立、道院長を務め現在に至る。運営指導委員をはじめ多くの役職を歴任し、07年より名誉本山委員に就任。2010年春の叙勲で瑞宝單光章を受賞。

柿沼實 少法師正範士七段 198期生

 護身のためにと始めた少林寺拳法でしたが、いつの間にか指導する立場になっていました。開祖からは、「高校生というものは、思春期の最も多感な年代で、君のひと言で後の人生が変わる時期だ、頼むぞ」というお言葉を頂きました。「人、人、人、すべては人の質にある」という開祖の教えは、とても深い意味のある教えです。一人でも質のよい拳士を世の中に送り出すとともに、周りの人間によい影響を与えられる指導者になる修行をしなければならないと、開祖は諭されたのだと思います。私にこのようなすばらしい影響を与えてくれた金剛禅という絆に大いなる感謝をしています。


修行の意味を知る

道院に来てもらうには、少林寺拳法の技は少なくとも他人より上手でなければなりません。そのために指導者は一生懸命、技を究めようと励むのですが、決して少林寺拳法馬鹿を育てるだけで終わらせなかったのが開祖でした。

開祖が目指した理想境は、どこかに天国があるわけではなくて、社会の中で、人との関わりの中でつくっていくものです。一人の影響力のある質のいい人間の存在がいかに大切かを開祖は語っていました。質の高い人間が何人かいれば社会を変えられる。そうやってこの世に平和で豊かな社会を実現しようというのが、開祖の目指した理想境ですね。どこかにあるものではなく、自分たちでつくるものです。

開祖は、「九州から北海道まで、すべて私が出向いていく訳にもいかない。だから君達に託す。道院長・支部長というのは、私の代理人みたいなものだ。君たちは、入門者を集めて影響を与え、人を育てることで世の中を良くしていく、そういう考えで取り組んでもらいたい」と話していました。やはり人の質、すべてはここに行き着きます。aun_tunagu_vol06_02

私の入門の動機は、護身のために、喧嘩に強くなりたいというものでした。たまたま少林寺拳法の道院が近くにあることを知って入門したのです。練習は厳しく凄みがありましたね。やがて機会がきて開祖の教えと技法に触れ、非常に感銘を受けました。開祖がよく一期一会と言っていましたが、出会いの大切さをつくづく感じています。

人を感化させるには、相当の努力が必要です。指導者は会った瞬間から人を惹き付けるような魅力的な人間でなければと思います。この人間大したことないなと思われるようではいけないのです。そのためには、一生懸命に勉強しなければなりませんし、仕事や生活の中に金剛禅を生かし、道を究める努力をし続けなければなりません。少林寺拳法の指導者というのはどこよりも厳しいことを求められているのではないでしょうか。私は「修行」という字の「行」の意味も開祖に教えていただいたと思っています。

※立つ鳥跡を濁さず。残された後の人が困らないようにと、すべての写真を整理し、手放してしまった柿沼道院長。残っているのはこの1枚のみである。


理想の上司は、頭が良くて不真面目がいい

関東学院高等学校に少林寺拳法部を設立する際、開祖から「高校生というものは、思春期の最も多感な年代で、君の一言で後の人生が変わる時期だ、頼むぞ」という言葉をいただきました。今でも強烈に印象に残っていますね。それまでに指導者講習会で何度も開祖の話を聞き、指導者としての心構えを持っていたつもりでしたが、改めて身の引き締まる思いがしました。

後になって気付いたことですが、開祖は人を見て法を説いていました。褒めたらいいのかおだてたらいいのか、人を見る確かな目を持ち、心をつかむのが上手でした。開祖から指導者のあるべき姿を教えていただいたように思います。

ある大学の、理想の上司をマトリクス分析した論文を見て、まさにその通りだと思ったことがあります。縦軸を頭の善し悪し、横軸を真面目不真面目とした時、理想の上司はどの座標軸にあてはまったと思いますか? 結果は、頭がよくて不真面目なタイプでした。勘がよくて融通が利くというタイプです。反対に一番困るのは真面目で頭のいい人でした。許容性が全くなくて少しのミスも許さないタイプ。やはり人の本質を見抜いて指導できる頭の良さと、許容力が指導者には求められているのです。

開祖は清濁併せ飲むタイプで、だからたくさんの人がついていったのでしょうね。まさに人たらしでした。熱心に勉強していろんなことを知っていましたから、話の内容がとてもおもしろかったです。真面目な話をしていたと思ったら、突然男女の話になったりするのです。すると周りはドッと沸く、眠そうにしていた人もパッと目を見開き、飽きてきたかなと思う頃にくだけた話を混ぜるので、開祖の話はとてもよく頭に残りました。人間の魅力は生真面目なだけでは生まれないのです。

また、開祖は間違いをしても1回は許していました。2回目はダメですが、なんとか救う道はないのかを考え、立ち直るチャンスを与えたのです。

私は開祖に機会を与えられ、人の生き様に関わるこの道を歩み出した時から、一生懸命勉強しようと思いました。世のため人のために体を張る気構えと行動力を持ち、知識と教養を兼ね備えた男としての魅力を高めようとしてきたのです。師を真似してきました。


損得ではない信頼関係を築く

私は警察官という仕事柄、体を張る場面が多々ありましたが、少林寺拳法をやっていたおかげで落ち着いて臨めたように思います。たいていの人が怯む場面も、「俺が行く」ということができ、柿沼に助けられた、一緒にいてよかったという噂が縁で人間関係も広がりました。何かあったときに体を張れるか、身一つで飛んでいけるかどうか、そういう気概があるかどうかが男としての魅力につながると思います。

私が少林寺拳法を始めたころは、横浜市内にある道院数は2つ、3つでした。それが今は大学少林寺拳法部を入れると40を越すまでになっています。皆、少林寺拳法が好きで続けて来た同志です。仕事ではそれぞれに役職を持ち、知識も豊富で、口は達者だし、腕にも自信がある、男として魅力のある人ばかりです。一生懸命だから、お互いに思ったことを言い合ってぶつかることもあります。が、だからこそ調和できるのです。お互いに意見を言い合える場があることは大切です。横浜市および神奈川県少林寺拳法連盟は結束力の固い組織だと思っています。

信頼関係は、計算していては築けません。頼まれ事を嫌がらず引き受け、それこそバカを承知で駆けつける素直さで、地道に信頼を築いていくことが重要なのです。信頼の積み重ねが、この人なら助けたいと思ってもらえる人間関係になるだと思います。信頼関係の築き方も開祖から教わりました。

私が開祖から受けた薫陶や恩恵を、そのまま門下生に伝えていきたいと思っています。門下生が社会で成功するように導くのが道院長の役目だと思っています。私のところからも何人も指導者になる人が出ましたが、指導者を出しただけではだめなんです。その指導者が成功するように支え協力しないと。

私は高校の少林寺拳法部でも必ず1時間ほど法話をしています。そこでは、学校では教えないことを話します。それが私の主義です。社会には複雑な仕組みがたくさんあります。その複雑な社会の中で人としてどのように生きるのか、人としての在り方を教えることが指導者の役目だと思っています。私は自分が得た情報や経験してきたことを話します。

高校生は大人をよく見ていますよ。学校の先生がジャージやトレーナー姿で校門のところに立ち、生徒の制服検査をしているなんておかしいですよね。教壇に立つんだったら、やはり社会通念上の制服でもある背広姿でパリッとしてほしいです。反対に、バスケットを教えるのに背広姿で、ああだこうだと生徒に指示するだけもおかしいです。自分も動ける格好でなくては、教えられるほうも納得しません。服装に教える姿勢が表れます。私は少林寺拳法の練習の場では、冬でも道衣1枚で指導します。それは指導者としての精一杯の突っ張りです。真剣さが違いますよ。


人としての限界がくるまで勉強だ

逆小手一つとっても何通りも掛け方があります。相手によって掛け方が変わるからです。それを一つの掛け方を覚えただけで、自分はすばらしい技を持っていると自慢するのは間違いです。

故・森道基大範士八段が、ある講習会で開祖に逆小手を掛けてもらった時の話をされていました。25回掛けてもらったけど、すべてコロンコロン転がされ全く痛くなかったそうです。1週間後、再び道場に開祖が現れた時、「全然痛くなかったのですが、あれでいいのでしょうか」と尋ねました。すると開祖は「あ、そうか」と言って、森先生が手を取った瞬間に激痛が走り、気付いたら投げられていました。それから1週間は手が動かないほどの痛さで、森先生は開祖の凄さを思い知り、心酔したそうです。

開祖はそういう緩急を使い分けるのが上手でした。私も東京プリンスホテルで開祖の警備をしていた時、開祖に逆小手を掛けていただいたことがあります。暇を持て余し気味の私を見て、開祖が「お茶でもどうだ」と誘ってくださり、何かあるかと聞かれたため、「逆小手がよくわかりません」と答えました。「ちょっと手を出してみい」と言われて手首をつかんだ瞬間、気付いたら転がっていた……分かったような分からないような。全然痛くもなんともない。柔らかい手だなと思った次の瞬間、ひっくり返っていたのです。後で森先生の話を聞いて、そのことを思い出しました。

おそらく開祖は、次の日から1週間も手が痛くて仕事ができなかったらたいへんな事になると、柔らかく掛けてくれたのだと思います。それが開祖の魅力につながっているのだと思いました。技も法話と同じで、相手を見て変化し、緩急をつけることが必要なのです。

私は死ぬまで勉強だと思っています。正確には、体が動かなくなったら無理なので、人としての限界が来るまでが勉強です。

本当は、定年後は故郷仙台市に帰り、のんびりと余生を過ごしたいと思っていましたが、なかなか周りが許してくれませんでした。今、2012年に神奈川県で行う全国大会のパンフレット制作に取り組み始めています。神奈川県大会のポスターやパンフレットには毎年関わらせていただいており、その年の出来事が一目で分かる工夫を凝らした表紙をつくっています。しかもちょっと遊び心で私にだけ分かるいたずらを仕掛けています(笑)。例えば、パッと見は一人に見える海辺の隅の小さな人影が、よく見ると二人が重なっているといったように。パンフレット制作など、少林寺拳法の行事や仕事に関わらせていただけるのは幸せなことだと思っています。生かされていることを感じます。

この先どれだけ生きるか分かりませんが、限界まで努力しようと思います。金剛禅指導者である自覚と誇りを持って、これからも少林寺拳法を通して少しでも恩返しをしていきたいと思います。開祖の「メッキでもよい、剥げなければ金で通用する」というお言葉は、人間の有り様を表しています。メッキでも金で通用したまま有終の美を迎えられる人生であれば最高です。