Vol.21 他人の役に立ちたい人の集団が少林寺拳法

2014/04/10

3月に、自称ベビーシッターの男が逮捕されました。保育経験があるとしてインターネットのサイトを利用し、預かった子供を死なせ遺棄したという事件です。これまでにもアルバイト感覚で子供を預り、問題を起こしていたようですが、名前を変えたりしながら続けていたようです。
 この事件では、仲介サイトの便利さと危うさ、そして素性の分からない見知らぬ人に自分の子供を預けられる母親の危機意識のなさなどが、あれこれと問題視されました。
ここで私たちが考えなければならないことは何でしょうか。
さまざまな仲介をする「マッチングサイト」と俗にいわれるものが、私たちの日常生活に入り込み、どこかのおいしいレストランを検索するかのように見知らぬ人と出会う時代です。「出会い系サイト」という言葉もよく耳にする昨今ですが、偽名で後腐れない気軽な異性との交際を求めたり、レンタカーをシェアしての旅行を呼びかけたりというあまり深く考えないものから、結婚相手を見つけるために婚活サイトを利用したり、自殺願望のある人が一緒に死のうと呼びかけたりするといった人生を左右する重たいものまで、本当にさまざまです。
ここで分かることは、人との出会いもつきあい方も、その意味すらもどんどん変化しているということです。今風にいえば、“深入りしないほどほどのライトな関係”とでもいうのでしょうか。
他人に気を遣うとか、我慢をするとか、そういう人間関係の煩わしさに縛られることなく自由でありたいと考える人が増えているのは事実です。かといって、孤独は嫌なのでしょう。相手にも自分にも決して深入りしない、表面上の関係を複数と持つことを好む人たちが多くなっています。
そんな人たちを標的に、さまざまな欲望のはけ口としてまかれた餌に、見極めもせず食いついた人たちがトラブルに巻き込まれることが多いように思います。
親身になってくれる本当の友達、価値観を同じくする仲間、無償の愛情を注いでくれる親との関係も、本気だから厳しいことも言うのです。「ウザイ!」と簡単に切り捨ててしまったら、そのあとの、嬉しいときは抱き合って喜び、おかしいときは肩を叩き合って大声で笑い、悲しいときはまた抱き合って泣く、そんな自分をさらけ出せる本気の人間関係をつくることはできません。
ネット上にあふれる情報を精査することは、容易ではありません。そこでパソコンやスマートフォンに向かって背を丸めてじーっと考え込んでいるより、時にはどっぷりと他人との触れ合いを楽しんでみませんか。
他人の役に立ちたい……という人の集団が少林寺拳法です。お互いが助け合ったり励まし合ったり、解決方法を一緒に探したり、そんなコミュニティーを目指しています。