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vol.23 小野寺米蔵 大導師正範士八段 234期生

2012/07/27

開祖の生き方から生まれた金剛禅、命をつなぐ気持ちで次世代に伝えたい
小野寺米蔵 大導師正範士八段 234期生

1934(昭和9)年10月、岩手県生まれ。一ノ関第二高等学校卒業後、母校の助手を1年間務める。54年、上京し日本大学工学部(夜間)入学。56年から東京都下水道局に入職、95年の定年まで勤務する。68年、三鷹市役所少林寺拳法部に入会。72年、勝田台道院設立、道院長を務め現在に至る。ボーイスカウトを通じてゲームやレクダンス、マジックなど多彩な技術を修得。千葉県体育協会評議員、八千代市社会教育委員などを歴任し地域社会に貢献している。少林寺拳法では少年部委員、武専教員など多くの役職を歴任し、07(平成19)年より名誉本山委員に就任。

小野寺米蔵 大導師正範士八段 234期生

金剛禅という教えに出会わなければ、世界観や人生観についてこれほど深く考えることはなかったと思います。生きていく価値判断を金剛禅の思想に照らして考えるようになり、自分の生き方に自信を持つようになりました。かつて教師を目指していたこともあり、教育に対して熱い思いを持っていました。今は市の生涯学習審議会委員や社会教育委員という立場からも、地域社会の中でさまざまな実践活動のお手伝いをしています。生涯学習は、自分の楽しみだけでなく、それを人に与えて喜んでもらって初めて本来の姿といえます。金剛禅は人を育てる指導者への道、まさに生涯学習なのです。


開祖法話に感動しこの道へ

1966年から3年間、都から派遣され三鷹市に下水道整備の技術指導に行きました。その時、建築課に入って来た新入職員の中に大学で少林寺拳法をしていた人がおり、新しく市役所支部を設立するという場面に居合わせたことが少林寺拳法との出会いとなりました。68年9月、三鷹市役所支部(故・鷹取英夫支部長、後の三鷹中央道院)が正式発足すると同時に34歳で入門しました。234期生です。

ちょうどその頃、三鷹の小学校で武専の授業があり、開祖が来られるというので、家内と一緒に聞きに行きました。人づくり国づくりを説く開祖の法話を聞いて、凄い方が見えたと感動・感激しました。なにしろそういう考えの方にお会いしたのは初めてでした。

72年9月、勝田台道院を設立しましたが、その動機となったのが浅間山荘事件です。その年の2月に起きた事件をテレビや新聞で見ながら、過激な思想集団ができる背景、その人達の生い立ちや育った環境に思いを巡らせました。新聞に出ている犯人の経歴を見ると、スポーツや武道をやっている人もいます。やはり技だけではなく、小さいころから正しい生き方を教えなくてはいけない、少なくとも自分の子だけはこういう過激な思想に染まってもらいたくない、そう強く思いました。また、以前から子ども同士が横のつながりをつくれる居場所をつくりたいと考えていたこともあり、道院設立を決意しました。

子どもだけでなく家内も入門し、協力してくれました。今、家族は休眠していますが、地域のイベントなど何かある度に手伝ってくれて、子どもたちの日常生活にも金剛禅の教えが生かされていることを感じています。aun_tunagu_vol08_02


武道家になるなよ

開祖は、東京に来られた時はよく歯科医の弘田仁哉先生(故・東京白金道院道院長)の医院に、歯の治療で寄られていました。弘田先生に呼んでいただき、開祖と二人きりでお話をさせていただく機会がありました。奥様が歯の治療をされている間のわずか10〜15分ほどでしたが、あの時ほど緊張して長く感じたことはないです。待合室でテーブルを挟んで開祖と対面した時は、何をお話したらいいのか頭が真っ白になりましたね(笑)。aun_tunagu_vol08_03しかし、その時に開祖が話されたことは今でも印象に残っています。

開祖は今の日本の豊かさは本物ではないと話されました。朝鮮戦争など軍需産業の繁栄で日本の景気も湧いているが、それは日本国民が血や汗を流した結果ではないという話にハッとしました。それから、物は豊かになったけれど人の心は廃れ、青少年問題など大きな歪みが出て来ている。戦争や大災害があって欲しくはないが、そのくらいの荒療治的なことでも起きないと日本は目覚めないのではないかと話されました。今になってみると東日本大震災を予見したようなお話だと感じます。

aun_tunagu_vol08_04また、80年の第6次訪中で開祖のお供をさせていただいたのは貴重な経験となりました。これはその時の写真です。上から羽田空港を出発する時、我々日本人を見ようと嵩山少林寺に集まったたくさんの中国人、白衣殿の壁画前での記念撮影、そして毎日夕方に団員を集めて行われていた反省会の様子です。

この訪中時、ある朝食の席で、「管長先生の発想法はどこから生まれてくるんですか」と質問したことがあります。「いろんな体験をすることだよ」という答えを聞いて、ああやはりそうなのだと思いました。堂々とした態度、考え方の大きさ、発想の豊かさは、体で学んで染み付いているからなのです。自分も常に新しいことに挑戦し続けようと思いました。

訪中時の夕方の反省会では、「君たち、武道家になるなよ」と言われました。しかし、開祖は何になれとは言いませんでした。まさかこの訪中後に開祖が遷化されるとは……、この言葉が私にとっての遺言となりました。aun_tunagu_vol08_05

開祖の前では緊張してなかなかうまく話をできなかったのですが、今にして思うともっとたくさんお話をすればばよかったなと悔やまれます。


ボーイスカウトとマジックと、体験から学ぶ

弘田先生はもともとボーイスカウトの活動をしており、歯の治療をしながら開祖と青少年教育について意見を交わす中でその考えに共鳴し、少林寺拳法に入門されましたaun_tunagu_vol08_06。開祖の弘田先生に対する信頼は絶大でしたね。開祖から「ボーイスカウトのノウハウを少林寺拳法の少年部指導に生かしてください」と言われ、弘田先生は76年に第1回少年部指導研修会を開きました。私も一受講生のつもりで参加したら、しっかりスタッフに組み込まれていました(笑)。夜を徹して準備に取り組み、受講者に頭と体をフルに使ってもらえるプログラムを練りました。開祖も連日指導に来てくださり、皆が童心に帰った3泊4日はたいへん充実した講習会となり、終了時には全員、感激の涙でした。少年部委員はこの時から21年間務め、少年部副読本や科目表の編集に携わりました。

写真は1985年6月、弘田先生(右)とボーイスカウトの制服姿で撮ったものです。ボーイスカウトは弘田先生に師事しました。ボーイスカウトで得たこと学んだことはたくさんあります。子供たちへの指導方法だけでなく、その関連で講習会を受けレクリエーション指導者資格をとり、マジックも始めるきっかけとなりました。今も月に1、2回、小学校の手品クラブに家内と指導に行っています。

aun_tunagu_vol08_07マジックにも当身の五要素がありますし、マジックという道具を通してコミュニケーションを図るところなど、とても少林寺拳法と共通しています。ただ見せるのではなく相手に感動を与えるのもまさに自他共楽の精神です。私の芸名はミスターピエロッチと言います。伝道師ともいうピエロと、金剛禅の伝道師とかけているんですよ。


人生の宝物

もともと私は岩手出身で、東京には教職をとるために出てきました。帰って母校の教師をするつもりでいたのです。ところが教員免許を取得した時には既に東京都職員に正規採用が決まっており、収入面やそれまでに築いた人間関係を考え東京に残りました。東京に残っていなかったら、そして都から三鷹市へ派遣で行かなかったら、おそらく少林寺拳法と出会っていなかったでしょう。ダーマの働き、法縁を感じます。

PTA会長をした関係で教育関係者や多くの人とつながりができ、市の体育協会副会長や社会教育委員、生涯学習審議会委員などの話もそこからきました。定年退職後もこうした立場で地域社会のお手伝いができるのは、少林寺拳法と出会い磨かれてきたからだと感じています。

金剛禅と出会って、子どもの教育に対する自分なりの信念、「教育観」を持てるようになりました。自分の物差しがあるから、専門家とも意見交換ができ、理解も得られるのだと思います。

開祖は少年部指導講習会で「三つ子の魂百まで」と言われ、小さいうちから金剛禅の教えに触れさせ薫習していくこと、徳育の大切さを話されていました。それが強く印象に残っていて、現代の教育のあり方に疑問を持つようになりました。特に、学校教育は「教える側の論理」で成り立っており、「学ぶ側の立場」で問われていないと思います。やはり学校教育を越えた「学習社会」を担うには金剛禅学習の果たす役割は大きく、人間教育の場である地域道院の充実が望まれます。

しかも、高齢者の方達の居場所と出番をつくる生涯学習の面からも、道院は地域社会のお役に立てると思っています。生涯学習の理念は、自分が楽しむだけでなく、それを人に与えて喜んでもらうという二つ揃って初めて本来の姿となります。金剛禅はまさに生涯学習なのです。

金剛禅で学んだことは人生の宝物となっています。


次世代へつなぐ

開祖は、「金剛禅は義和だ」とよく言われていました。皆で善いことをし、社会を変えていくのだということです。仏教イコール金剛禅ではなく、釈尊の正しい教えをベースに、開祖の人生体験を基本としてまとめたのが金剛禅なのです。ですから卍ダーマを信じることは、開祖を信じることから始まると思っています。

少林寺拳法も宗教も手段で目的ではありません。手段と目的を混同すると進む方向を見失ってしまいます。武道家になるなよと話された開祖の言葉をよく考えて、やはり人間としての徳育、徳性をきちんとわきまえて指導することが大切だと思っています。

aun_tunagu_vol08_08これは1977年11月、少林寺拳法創始30周年記念全国大会前夜祭の写真です。この大会で弘田先生は大会実行委員長を務め、私はパンフレットの編集を担当いたしました。パンフレットをつくるにあたって何回も本山事務所にうかがい打ち合わせをし、開祖からパンフレットは後まで遺る物をつくるようにということと、表紙は個人の名前や顔があからさまに出るものはやめた方がいいなど、細やかなご指導をいただきました。編集委員の仕事はすべて手弁当です。開祖はその辺もよくご存知で、「今はまだ組織にお金が必要なため、君たちに旅費も払わずに働いてもらっている。申し訳ないな」という言葉をいただき、開祖はきちんと見ていてくれていると感じて疲れが吹き飛ぶ思いがしました。多くの方と力をあわせ苦労して完成させたパンフレットは、満足のいくものができたと思っています。aun_tunagu_vol08_09開祖からの「よくやった」というお褒めの言葉は本当に嬉しかったですね。

仕事と少林寺拳法の両立にはたいへん苦労しましたが、道院運営も全国大会のお手伝いも、支えになっていたのは使命感だと思います。どんな困難や苦労も、使命感があればはねのける力になります。

指導者は率先垂範が大切です。周りから頼りにされる人になるためにも、まず行動が先です。そして、人間死ぬまで修行、小さいことでもいいので常に目標を持ち、好奇心とチャレンジ精神を忘れずにいたいと思っています。

人を育てる指導者をつくる金剛禅はまさに生涯学習です。今の時代に「凛」とした生き方を身につけさせ、勇気と希望の持てる社会をつくることが私たちの使命です。これからも命をつなぐ気持ちで、少林寺拳法というすばらしい技術と金剛禅という教えを次の世代に受け渡していきたいと思います。