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vol.24 小池孝忠 権少法師大範士八段 64期生

2012/09/27

人生に生かす当身の五要素、心豊か、人豊かな日々
小池孝忠 権少法師大範士八段

1938(昭和13)年10月、岡山県生まれ。1954〜88年、三井造船株式会社に勤務する。退社後、選挙事務所、専門学校職員などを経て93(平成5)年より社団法人岡山県中古自動車販売協会・商工組合(JU岡山)事務局長を、2004年よりJU中四国事務局長、その後、専務理事に就任。現在、ケイ・アンド・エム・インターナショナル株式会社取締役も兼任する。少林寺拳法は54年6月、三井造船少林寺拳法部に入会。64年、岡山中央道院設立、道院長を務め現在に至る。岡山県少林寺拳法連盟理事長、中央委員をはじめ多くの役職を歴任し、09年、名誉本山委員に、12年、岡山県連盟副会長に就任、現在に至る。

小池孝忠 権少法師大範士八段

25歳のとき、開祖と一緒に風呂に入り、背中をお流ししながらいろんなお話をした経験が、今でも心の拠り所になっています。中でも印象深いのは、「小池、当身の五要素を実生活で実践しているか」と、人とのつきあい、生活、社会構造の中で当身の五要素を生かしていくことの重要性を教えていただいたことです。その教えを守ってきました。

おかげで、すばらしい人に恵まれ心豊かな今があるのだと思っています。教えは実生活で実践してこそ、初めて意義があるものです。これまでたくさんの門下生が道院長・指導者となり、巣立っていきました。これからも教えを実践できる人を一人でも多く育てていきたいと思います。


aun_tunagu_vol09_02若造を一人前として扱ってくれた開祖

少林寺拳法に出会ったのは高校1年生15歳の時です。父親は柔道家であり、自分もそれまでは柔道をやっていました。寮生活をしていたある日、寮の食堂で公開演武があり、柔道仲間と一緒に見に行き感激しました。担いだり、腰を使ったりせずに、手が触れた瞬間に投げてしまう。もう驚きでしたね。親に内緒で入門しました。それからずーっとこの道一筋です。 まだ何にも染まっていない多感な年齢の時に金剛禅の教えが入っていますから、現在の私は少林寺拳法と共にあると思っています。

三井造船少林寺拳法部に1期生として入り、師は故・義若道恵中法師大範士九段です。私より1年遅れて入ってきたのが田原正晴君(名誉本山委員、岡山光南道院道院長)です。この前、田原君が懐かしい写真を持って来てくれました。それがこれ、私が24、5歳ぐらいの写真です。何かの時に使えるように写真を撮ったのだと思います。昼休みを利用して、投げたり、飛び蹴りしたり、背景も野原だったり体育館だったり、いろんな場所、アングルでたくさん撮りました。私の手元にはもうないのですが、田原君は持っていたんですね。この頃は武専にも入り、週2回、本部に通っていました。猛烈に鍛えられた時代でしたね。

昔は今みたいに技の数が多くありませんでした。初段でも技の数は十数個です。こういう場合は寄抜ができませんが、ということでどんどん技が増えていったんです。その頃は少ない技を繰り返し練習しました。それがよかったのでしょう。体が覚えてしっかりと身に付きます。また、乱捕りをたくさんやりました。

開祖と風呂に入ったのもその頃です。背中をお流ししながら、仕事や恋愛の悩みなどいろんな話をしました。当身の五要素を人生に生かす話もその時にお聞きしました。まだ24、5歳の若造でしたが、開祖は一生懸命話をし、一人前として扱ってくれました。将来を築いていくのは若い人だというのを開祖は知っていたのだと思います。これを若造だと適当に扱われていたら今の私はないでしょう。

その後、私のすぐ下の弟は川重神戸事業所で少林寺拳法部を創設、末弟は岡山県に総社道院を設立しました。父親は開祖と対面し、明治生まれの一つ違いということで意気投合、それまで少林寺拳法に反対していたのが与党となってくれ、少林寺拳法一家と相成った訳です。


仕事も少林寺拳法も両方大切

少林寺拳法を始めて10年目の64年に独立し、岡山中央道院を設立しました。いつも早くに帰るため、上司から「そんなにサッサと帰るなら会社を辞めたらどうだ」と言われたこともありました。少しでも移動時間を減らすため車を購入し、文句を言われないよう仕事を終わらせて道院に通いました。

道院設立から間もなくして結婚したのですが、女房には苦労かけたと思います。毎日のように指導に出かけ少林寺拳法に夢中でしたし、給料の半分以上は道院経費や車の月賦で飛んで行きましたから。でも、そこは心のつながりで、よく切り抜けてくれたと思います。

結婚の報告をするため、女房と開祖のご自宅を訪問したことがあります。風邪気味の女房を気遣って、奥様が風邪薬を持って来てくれたことに、彼女はたいそう感激していました。開祖からは「彼女は君には過ぎとるんじゃないか?」とありました(笑)。皆が開祖を師範と呼び、慕っていたあのころは、開祖との距離がぐっと近かったように思います。

忘れられない思い出に、第一回岡山県大会があります。もともとは岡山中央道院設立3周年記念大会をする予定でした。当時の加藤武徳岡山県知事に、大会長になっていただけることになり、そのことを開祖に話すと、「それでは金子正則香川県知事を連れて行く」という話になったのです。あわてて義若先生に相談したところ、第一回岡山県大会とすることになりました。

aun_tunagu_vol09_03私は仕事も少林寺拳法も両方大切にしてきました。一時、開祖は仕事を離れて少林寺拳法に専従しなさいと言ったことがあります。片手間では門下生が育たないと。その時に仕事を辞めた人は結構います。私は少林寺拳法とは別に仕事を持ち、自分で生計を立てることが大切だと考えていましたので、開祖の言葉に従いませんでした。それがよかった。翌年だったか、開祖は、仕事を持っていない道院長は認めないと言いましたので、仕事を辞めてしまった道院長は大変だったと思います。第一次訪中にも誘われましたが、断念しました。やはり仕事を10日間も休めませんから。

三井造船には、早期定年退職を利用して49歳で辞めるまで勤めました。その後は、いろんなところから声を掛けていただき、今も役員会だ、株主総会だと出張も多く忙しくしています。もうそろそろ生活のスピードをスローダウンしようと思いつつ、お声掛けいただけるのはありがたいと思い現在に至っています。
※ 写真は1974年、忘年会にて


人を大切にするから、大切にしてもらえる

人を大切にするから、大切にしてもらえる 人を大切にするから、大切にしてもらえる 私は今、心の豊かさを実感しています。道院の幹部は優秀な人ばかりで、これまでに40人以上の門下生が道院長・部長として巣立っていきました。さらにそこからも指導者が育っています。

aun_tunagu_vol09_04すばらしい人に恵まれていると思っています。女房からは「お父さんは自分が能力ない分、周囲にいい人ばかりいる」と言われます。本当に私は幸せ者だと思っています。いつも行動を共にしてくれる女房は、一番身近にいて良いことも悪いことも言ってくれるありがたい存在です。

私はいつでも人を大切にする気持ちを忘れないよう心がけてきました。人を大切にすることは、大切にされることにもつながると思います。人という字は両方の足が同じように地についています。片方だけというのはバランスがとれない。調和なのです。ですから相手の立場に立って考えることが大切です。仕事でもなんでもそうですが、そうした目配りが、慈悲心、優しさになるのです。自分の位置からだけで見ていたら、本当の相手の気持ちがわかりません。坂も上から見たら下り坂、下から見たら上り坂ですよね。

教えも言葉では簡単に思えますが、実践するのは非常に難しい。いくら年をとっても死ぬまで未熟者、だから死ぬまで修行なのです。

aun_tunagu_vol09_05開祖は亡くなるまでとんがっていましたし、情熱を燃やし続けていました。やはり世の不正に本気で立ち向かおうと思ったら、怒りを燃やすことも多いと思います。開祖もだまされたりいろいろと悔しい思いをされたことがあると思います。私も人に裏切られ足を引っぱられたことがあります。いい人だと思って近づきすぎたら大やけどをすることがありますから、よく気をつけて付き合わなくてはいけないと思います。人間関係も当身の五要素が当てはまります。間合い、位置、角度、速度、虚実、すべて大事だと思います。

開祖の「当身の五要素を人生の中で実践していけば何があってもうまくいく」という話は、ご自身の体験に基づいた確かな教えなのです。
※写真は上:1975年、忘年会にて  下:1977年、本部表敬訪問にて


私の人生は少林寺拳法そのもの

aun_tunagu_vol09_06この写真は84年4月、岡山中央道院設立20周年を記念して訪中した時のものです。拳士や法縁有志ら27人が参加しました。この時に、片山登拳士・美紀拳士が嵩山少林寺で結婚式をあげました。嵩山少林寺での結婚式は、世界で初めてのことで、まさに歴史的な心に残る出来事でした。写真の左に写っているのが釈徳禅老師です。中国にはその後何度も団を組んで訪問しましたが、ただ訪問するだけでなく、小学校同士の友好校縁組をするなど友好を深めてきました。私は何か新しいことをするのが好きなんですね。

好きな言葉に、「財を積むこと千万も薄芸身に随うに如かず、文籍腹に満つと雖も行ぜざれば一襄銭に如かず」という中国の古い諺があります。開祖から聞いた中国大陸からの引き揚げ時の話で、お金は取られてしまったけれど体で身につけたことは取れない、どんなに本を読んで勉強しても実生活に使えなかったら何の意味もない、という話からこの諺が好きなったのです。この言葉を胸に少林寺拳法の普及・布教に邁進してきました。

私は門下生に、早く一人前になって道院から独立していきなさいと話しています。相手によって法の説き方を変え、行動に移せるように後押しをしてきたから、どんどん人を送り出せてきたのではと思っています。その事が人づくりによる国づくりにつながるのでは……。

私の人生は少林寺拳法そのもの。残る人生、老骨にムチ打ちつつも、皆さんと共に少林寺拳法を愛し、楽しむ人を増やしていきたいと思っています