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vol.26 高山恒一 大導師大範士八段 122期生

2013/01/27

自覚と努力で人は変われる、その感動を多くの人に伝えたい
高山恒一 大導師大範士八段 122期生

1940(昭和15)年2月、奈良県生まれ。1955年、大阪工作所に入社。同時に布施工業高校定時制に通う。59年、高校卒業、同年5月、大阪工作所少林寺拳法部に入部。大阪工作所に25年間務めた後、さらに20年にわたり特殊工具メーカーに勤務する。64年、生駒道院設立、道院長を務め現在に至る。他に奈良県少林寺拳法連盟理事長、本山・本部委員を初め多くの役職を歴任し、2010(平成22)年より名誉本山委員に就任、現在に至る。

高山恒一 大導師大範士八段 122期生

勤務先のグラウンドで少林寺拳法と出会ったのが始まりでした。最初は護身のためにとにかく強くなりたい一心で休まず練習に励みましたね。母子家庭で育ち、人の後ろをついていくような内気な性格だった私は、人の前で話をする、まして指導なんて思ってもいませんでした。それが気付くと人の前に立っている自分がいる……弱かった自分が強い人間になれたと思いました。本当の強さを少林寺拳法が教えてくれました。自覚を持ち努力すれば人は変われる。私が少林寺拳法で変わり自信を得られたように、多くの人に変化する自分を体感していただけたらと思っています。少林寺拳法のすばらしさを伝え続けていきたいです。


仕事帰りに偶然見かけた道衣姿の人

恩師・本田修先生(故人)との出会いが少林寺拳法との出会いです。私は中学を卒業後すぐ社会人になりました。働きながら夜は定時制の高校に4年間通いましたが、当時の世相はまだまだ不安定で、通勤途中でも強請(ゆすり)・恐喝(たかり)が日常茶飯事でした。そのため卒業と同時に隣町で空手かボクシングを習う予定にしていました。

ある日、仕事を終えて更衣室に行く途中、ふと広場を見ると道衣姿の人たちが空手のようなことをしていました。近づいて聞いてみると少林寺拳法だと。当時、少林寺拳法はまだ知られておらず、聞いたこともありませんでした。「教えていただけますか」「ああ、ええよ」。これが本田先生との出会いです。職場で同じようなことができるのなら、わざわざ他へ習いに出かける必要はない、と即断即決でした。とにかく強くなりたい、ケンカして負けたくないというのが始めた動機です。

本田先生は愛媛の西条道院の出身で、大阪に少林寺拳法を広めるという使命を持って来られていました。たまたま来られたのが私の勤め先の大阪工作所の設計部門だったのです。先生は職域に支部をつくられ、私は大阪工作所少林寺拳法部の第一期生になりました。同期に今城隆廣奈良中央道院道院長がいます。

しかし、会社に活動の実績が認められて専有の道場ができる前の約1年間、練習場所は屋外でした。真冬でも雨露だけがしのげる自転車置き場のコンクリートの上で稽古をしていましたので、さすがに一冬越えたころには10数人いた1期生が4、5人しか残っていませんでした。

私が厳しい冬を乗り越えられたのは、本田先生の情熱に引っぱられたからです。設計士として働く本田先生は、私たちが現場を終え準備して駆けつけた時には、すでに道衣の上に胴を着けて待っていてくださいました。aun_tunagu_vol11_02どんなに寒い雪のちらつく日でも、本田先生は道衣に着替えて待っていて、先頭に立って引っぱってくださいました。雨で練習できない日は、近くの物置で学科を勉強したり、少林寺拳法の替え歌を教えていただいたり……すべてが懐かしい思い出です。

あの時、帰り際に少林寺拳法を見かけ、本田先生にお会いしたから今があります。やはり縁です。
※1964年頃、大阪工作所少林寺拳法部時代、鏡開き式を終えた後のぜんざい会食。


優しさと厳しさの両面を持つ開祖

60年からは毎年、本山の指導者講習会に行きました。まだ級拳士でしたが本田先生に連れられて帰山したのです。そこで開祖の法話をお聞きし、ごっつい人やなぁ、と惚れ込みました。男と女のことから天下国家のことまで話題に幅があり、一時が万事、共感共鳴できました。これまでの自分の人生感や世界観、もちろん宗教観に対しても全く新しい形で入ってくるのですが、すべて納得できるものでした。

その頃の指導者講習会は必ず夏に行われていました。今のように立派な本山施設がなかったため、昼は学校の体育館をお借りして実技と講話、夜は郵便局の裏の旧道場で整体の講習がありました。そのうち本部武専にも通うようになり、月1で本山に通いました。そこでも開祖の法話を聞くことができ、もちろん技も見ていただきました。

開祖に技を掛けていただいたのは、1回だけ、片手の送小手でした。もちろん昇段試験や武専で技を見てもらっていましたが、掛けられたのはその技だけです。「高山、ちょっと持て」と言われて持った瞬間にバチーンと床に手をついて倒され固められていました。何をされたのか、どの方向に倒されたのか、瞬間の出来事で感想も何も訳が分かりません。しかも決して痛みは残りませんでした。気がついたら送小手を掛けられていたと。説明はなかったと思います。開祖は細かく説明しない指導を心がけておられました。長々説明していると開祖に怒られましたから。説明するよりもまずやらせなさいと言われました。

本田先生の代理で京都別院に行った時、開祖と1対1でお話させていただいたことがあります。その時は私もまだ若く、着ているものもいい加減で、話し方もぞんざいだったと思います。おまけに開祖は座っておられるのに、私は立ったままで話をしたものですから、「まず座りなさい」と言われました。その後2時間ほど、身だしなみや立ち居振る舞いから、指導者としてのあるべき姿などを諭されました。

aun_tunagu_vol11_03私は開祖に叱られたことの方が多かったと思います。本山の大学合宿指導で鎮魂行の主座をした時は、座り方が間違っていると大勢の大学生の前で厳しく叱られたことがあります。ですが、叱っていただけたことを本当にありがたく思っています。おかげで今の私があるのですから。

法話では開祖の思いやりや優しさを感じられました。開祖は厳しさと優しさの両面を持っておられました。
※写真:1960年代、幹部合宿の一コマ

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本当の強さ

私の父親は小学校に入学する少し前に亡くなり、母が兄と妹3人の子どもを女手一つで育ててくれました。生まれつき内気なことと、母子家庭であったことから、中学高校とずっと人の後ろをついていくような子でした。いわばコンプレックスの固まりのような人間で、少林寺拳法を始めるまでは人の前に立って何かをやるとか、まして指導するなんてとても考えられる性格ではありませんでした。それが、知らず知らずのうちに積極的な人間に変わることができた……。気付くと人の前に立っている自分がいました。あ、俺変わったなと思いました。少林寺拳法はすごい、人を変えるものを持っていると思いました。

aun_tunagu_vol11_05また、級拳士の時から出場していた全国大会では、64年に乱捕り個人戦で準優勝しました。その時の写真がこれです。そしてその年に、奈良県下で第一号となる道院を設立しました。少林寺拳法を始めて5年目、24歳の時です。

私と同じように、少林寺拳法で自信を得て、人は変われることを体験してくれる人を増やしたい、このすばらしい少林寺拳法を、自分が生まれ育った生駒の若い人にもぜひ知ってもらいたいとの思いで道院をつくったのです。

弱かった自分が強い人間になれた。開祖の説かれた「人は変われる。ダーマの分霊を持つ可能性の種子なのだから」という言葉を体験的に実感してきました。本当の強さを少林寺拳法が教えてくれました。


人は変われる

生駒道院設立にあたっては本田先生を初めたくさんの方々に助けていただきました。生駒に住んでいた大阪工作所の専務の方たちの縁を頼って、生駒警察署次長を紹介していただき、警察の柔道場を借りて活動を始めることができたのです。

当初は指折りの悪ばかりが集まりました。中にはもちろん大人しいまじめな子もいましたが、子どもに少林寺拳法をさせようと見学に来た知人に、あの子達がいるのならうちの子を預けられない、と言われたほどです(笑)。しかし、周りの評価とは違い、そんな悪達も私の前ではそうではないんですよ。

しかし、その後次長の転勤で警察の柔道場を使えなくなり、近くの公園で練習せざるを得ないときもありました。練習場所がなく、公園で練習していた約半年の間に、ほとんどの拳士が辞めていきました。辛かったですね。幸い、市役所に勤める同級生の紹介で中央公民館を借りることができ、活動を継続することができました。

あと数年で生駒道院設立から50年になりますが、本当にいろんなことがありました。何度も挫折しそうになりましたが、せっかく生駒で始めたのに途中で辞めてはいけないと、とにかくその思いで続けてきました。それに、大阪工作所少林寺拳法部時代、本田先生が先頭に立って1年間屋外で稽古を続けられたことを思えば……あの厳しい時を乗り越えられた、それが支えになっています。

初めは拳技の強さを求めて始めたのですが、開祖のお話をお聞きし、考え方に触れて、目覚めることができたと思っています。今日の自分と明日の自分が一緒であってはいけない、いい意味で変わっていかなくてはいけない、人は変われるのです。

開祖はテーマを決めて法話をするというのはありませんでした。すべて自分の実体験に基づいたお話で、その日の出来事や新聞の話から入っていくのです。経験に裏づけされた言葉だからこそ、多くの人の心を掴んだのだと思います。

私も、自分自身が変われたように、自分の言葉でこの少林寺拳法のすばらしさを伝え続けていきたいと思います。