Vol.26 現代社会において、価値のあるものとは

2014/09/10

1947(昭和22)年に少林寺拳法が日本で創始されたのは、日本の中心ではなく四国の地でした。世界中の情報が瞬時に入る現代とは違いますから、人から人へ手の温もりとともに伝わったといっていいでしょう。
創始国である日本国内に一気に広がりを見せたのは、1960年代後半からでした。日本という国が戦後の荒廃した中から立ち上がり、高度成長に向かって走り始めた勢いと同じ時期です。絶望、憂い、葛藤、希望、理想、欲求と繋がっていく、自然の流れであったのかもしれません。
日本は、戦後70年近く平和を維持し急速な経済発展を遂げた中で、大切な文化を消滅の危機に追い込んでいます。
「思いやり」とよく言われますが、生活の至る所にその文化が根付いていました。それは相手との関係の中で自分を振り返ったり、我先ではなく譲り合う心であったりというものです。敬語でも”尊敬語” “謙譲語” “丁寧語”と使い分ける習慣などが表すように、常に相手を意識して使い分ける文化がありました。親に対する言葉遣いや、学校の先生に対する言葉遣いなど、大人と子供の立場の違いをほどよく気持ち良く理解し、日常を過ごしていたように思います。
それらの習慣はいつの間にか当たり前ではなくなり、大人たちが言いたい放題したい放題になり、その自分しか見ていない分別のない大人に育てられた子供達がどう育って行くのかは推して知るべしです。
少林寺拳法では、修練を始める前に「鎮魂行」というものを行います。小さな子供から人生さまざまな経験をしてきた高齢者まで自分を振り返り、日常を理想を持って生きる術を納得し、実行することを誓うことを目的として行われるものです。
「己れこそ己の寄るべ、己れを措きて誰に寄るべぞ、良く整えし己れこそ、まこと得がたき寄るべなり」という一節から始まります。長上を敬うこと、後輩を侮らないこと、互いに親しみ合い助け合い協力することなどを唱和し、瞑目(めいもく)します。
つい最近、子供の頃から少林寺拳法に親しんできたという熊本出身の女性から、CDデビューしたということで楽曲が送られてきました。さっそく聴かせて頂くと何とロックで、間奏のところで「己れこそ己れの寄るべ……」と語りが入っているではありませんか。
彼女は少林寺拳法にインスパイアされたのだそうで、今の社会を見て楽曲に思いを込めたのでしょう。子供の頃からの日常生活の中で、繰り返し繰り返し薫習として心身に染みついたものは、生き方の中心になってくると思います。
 この夏の高校総体に、少林寺拳法は初の正式種目として参加しました。これまで40年にわたり、少林寺拳法独自の高校生大会を開催してきましたが、今年、インターハイ種目になったことで、開催地の行政や教育関係者の皆様に、少林寺拳法の大会での高校生の様子を見ていただく機会となりました。競技の前には、審判員にも組んでいる相手にも、お互いに挨拶をすることはもちろん、アリーナ以外でも、すれ違いざまに挨拶されることは当たり前の風土となっています。きちっと整列したら私語は慎む、人の話は真剣に聞くなどの姿勢が、決して強制され萎縮しているものではなく、そのすがすがしさを楽しんでいる様子が、多くの皆様に新鮮に映り、評価を頂いたのです。待機席やトイレの使用についても同様の驚きに近い評価でした。
 閉会式では表彰式の後、開催地の実行委員長から、大会開催に協力していただいた表方としての来賓や大会役員・審判員だけではなく、裏方として支えていただいた全てのスタッフの存在があってこそのこの大会であると話し、インターハイ出場者全員で感謝の気持ちを伝えよう! と提案があり、全員から会場全体に響き渡るお礼の声と拍手が上がりました。出場した拳士同士も前後左右に向きながら、お互いに合掌礼をする光景が、現代社会において、とても価値のある環境だと思います。