Vol.27 少林寺拳法は身心ともの護身術

2014/10/10

 今年は大雪に始まり、竜巻や頻発するゲリラ豪雨、大型台風にデング熱、そして突然の火山噴火と、人間に対する警告シグナルのような災害の年となりました。
 想定外とか予知できるできないとか、必ず事後に言われることです。
かつての時代は、瞬時の情報がない分、人々が代々経験から言い伝えられてきた教えや、未然に察知する努力をしていたこともさまざまありましたが、世の中が便利になり瞬時にさまざまな情報が手に入ると安心し、専門家頼りになってしまっていないでしょうか。

 創始者・宗 道臣は戦争や関東大震災の経験者でしたから、一斗缶に入った乾パンを20缶くらいと、トイレットペーパーやヘルメットなどを常備するのが当たり前の人でした。イザというとき、どこに何が必要なのかを食卓を囲んでも話す人でした。しかし、現在多くの家族では、そんな話をする環境も習慣も消え、携帯電話の普及によりどこにいても連絡が取れるという平時の感覚で、家族の行き先すら知らないという人の多い時代です。
日常のさまざまな選択肢の中で、そのYesとNoの選択の3つくらい先までイメージするという習慣を持つと、事前の物心両面の備えもでき、パニックに陥ることも少なくなり、次の対策にも早く取りかかれます。もちろん、どうにもならないことはあります。しかし、だからといって人頼りのあげくに人のせいにして、長年恨みと悔やみで過ごしたくはないものです。
少林寺拳法は、格闘技ではなく護身術です。同じ技術じゃないか、と思われるかもしれませんが、社会生活の中でのさまざまなシチュエーションをイメージし、それに対応できる人づくりを目指すのが少林寺拳法です。高齢者から子供まで、世代を超えた人の集まる環境の中で、人生経験、社会経験から学び、イザというとき自分の身を守り、人を助けられる自信と勇気と行動力を養います。そして、助け合える頼もしい仲間づくりをしているのです。

 護身術とは、先を読みイメージし、その対応策を訓練するわけです。
 暴漢に襲われたり、トラブルに巻き込まれたときの想定だけではなく、もっと日常的な生活の中での護身術を身につければ、セクハラやパワハラに対する護身術としての抵抗力も増すのではないでしょうか。 私は女性として組織のトップに立ち、35年たちました。この間、内外共にさまざまことに遭遇し続けてきましたが、セクハラという感覚を持ったことは一度もありません。もちろん何もなかったわけではなく、私がそう思わないということです。20代から「女のくせに泣かないのはかわいくない」とか、「お嬢ちゃんが何か言ってる」と皮肉を言われても、泣いたら泣いたで「女はすぐ泣く」とか、「泣き落としか」なんて言うんでしょ! という感じで、その時々結果をイメージしてきましたから、常に感情的にならず自分に正直に生きてきました。

もちろん、不妊に苦しみ悩んでいる人に、他人事のように何も考えず全く配慮のない発言をするようなことは、絶対許すべきではないと思います。最近も都議会で、「結婚しないの?」という男性議員の発言が問題になりましたが、「なかなか魅力的な男性がいないですものね」と、私ならニンマリ答えただろうなと思いながら報道を見ていました。許してはならないことと、どうでもよいことが一緒に“問題発言”としてのみ報道されていくことが、結局風土改革できない理由だと思います。身心共の護身術が、今必要ではないでしょうか。