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vol.28 森健太郎 大導師大範士八段 162期生

2013/05/28

裏切らない、裏切られない、そういう生き方をしたい
森健太郎 大導師大範士八段 162期生

1940(昭和15)年3月、愛媛県生まれ。59年、航空自衛隊に入隊。93年、定年退職後、社団法人中部建設協会、石田学園星城高等学校を経て東京海上火災KKに勤務する。98年から2005年まで、代理店代表を務める。62年、小牧航空隊少林寺拳法部に入部。65年〜77年まで、小牧航空隊少林寺拳法部の二代目部長を務める。69年4月、江南道院設立。元・名古屋経済大学少林寺拳法部監督。2010(平成22)年より名誉本山委員に就任、現在に至る。

森健太郎 大導師大範士八段 162期生

「最低3人、仲間がいれば何でもできる」と開祖は言っていました。職場に3人、自分と同じ考え方、同じ気持ち、同じ行動のできる仲間がいれば、その組織は掌握できます。開祖との最後のお別れで、棺の中の安らかなお顔に接した時は泣けて泣けて涙が止まりませんでした。そのとき、誓いも新たにしました。他人を裏切らない、他人に裏切られない。そんな生き方をしたいものです。

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我こそはと思う人は壇上へ

私は香川県の隣の愛媛県出身で、少林寺拳法の名前は小さい頃から知っていました。大会も見たことがあります。子どものころからスポーツが好きで、中学校ではバレーボールや走り高跳びをやり、その後は町道場で柔道もはじめました。高校でも柔道部に所属していました。

少林寺拳法に直に触れたのは大学生の時です。隣町で演武会が行われると聞き、友達数人と見に行きました。「誰か受身のできる人はいますか」というので「はーい」と軽い気持ちで出て行くとバシッと投げられ、強く印象に残りました。その時からずっと、やりたいという気持ちがありました。

その後、大学を中退して航空自衛隊に入り、愛知県の小牧基地へ配属されました。早朝訓練科目の中に、各武道に並び少林寺拳法があり、迷わず少林寺拳法を選びました。教官は高橋法昇先生(名法道院道院長)、訓練期間は1週間くらいでした。他の競技は期間終了とともに全て解散しましたが少林寺拳法だけは残り、62年秋、小牧航空隊少林寺拳法部が設立されました。私はその第一期生です。

aun_tunagu_vol13_03少林寺拳法をはじめて2年目、まだ二段でしたが高橋先生の後を受けて二代目部長になりました。その頃は愛知県の各地に道院が新設されていった時期で、公開演武会などの度に出かけて行き模範演武をしたり、希望者を相手に技を掛けたりしていました。出先でいきなり、「どなたでもいいですから我こそはと思う人は出てきてください。この人は二段ですからどのようにでも対処してくれます」とふられるのです。しょうがないので腹をくくって相手しましたけれど(笑)。

後で知りましたが、現在の道院幹部4人は最初、道場破りのつもりで乗り込んできたらしいです。演武を見て「あんなにうまく行くもんですかね」と聞いてくるので、「そう思うなら好きなようにきてみなさい。どうぞ」って相手をしました。柔道をやっていた一人が奥襟をとりにきたのをばーんと投げたらびっくりしていました。未だにあれは忘れられないと彼らは言います。自信満々で乗り込んだのに、帰りにはさっそく入門願書を書いていましたから。彼らとはもう35年くらいの付き合いになります。
※写真:小牧航空隊少林寺拳法部時代、25歳くらいの頃


少林寺さん、絶対出て行かないでね

最初、私は日本海側に道院を出そうと考えていました。愛知県にはある程度少林寺拳法が広まってきましたので、今度は裏日本に広めようと考えたのです。この時、自衛隊は辞めるつもりでした。高橋先生が開祖から言われた「自衛官の代わりはいるが、少林寺拳法におけるお前の代わりはいない」という言葉に影響を受けていたと思います。

上司に理由も言わないで4日ほど休暇をもらい福井に行きました。冬の福井駅に降り立つと、1メートルくらい雪が積もっていました。そのまま市役所へ行き、保育園の一覧表を見て、電話で打診したり出かけていったりして道院ができそうな場所を探しました。仕事もうまく自動車会社の社員教育係の話を取り付けることができました。

ところが小牧に帰った直後、江南市に住んでいる方から「ぜひ、こちらでやってください」と電話がきたのです。自衛隊を辞めずに布教活動ができるのならと考え、福井の方を断りました。

さっそく北野天神社に付属する天神会館を修練場所にしようと交渉に行きましたが、なかなか許していただけませんでした。先に使用していた武道団体の態度が悪かったためです。「とりあえず使わせてください。2ヶ月間見て悪かったらすぐ断ってください」と頭を下げて江南道院設立にこぎつけました。

aun_tunagu_vol13_04活動を始めて数ヶ月後、区長さんや宮係3人ぐらいがいきなり見にきました。気付いたのは鎮魂行の真っ最中、教典唱和が終わって声をかけると、「少林寺さん結構です。大いに使ってください。協力します」と言ってくださいました。その後は、古い道場の床を修繕してくれたり、夏は暑いからと天井に扇風機をつけてくれたり、炊事場やトイレの増設など積極的なご支援をいただいています。「少林寺さん、絶対出て行かないでくださいね」と言われています。

区長が交代しても人間関係は続き、40年以上、変わらない付き合いが続いています。本当にありがたいことです。ただし、これを当たり前のことだと思わないよう、甘えることのないよう自分自身にも門下生にも言い聞かせています。
※写真:昭和49年12月、第1回全自衛隊少林寺拳法演武大会で模範演武を行う。


ときめきを感じた開祖法話

開祖とお会いしたのは入門して1年後、初段受験のため一人で本山に行ったときでした。朝7時頃、旧道場に到着し、正門を入って右手の食堂に行くと、ちょうど皆で朝ご飯を食べているところでした。開祖が出てこられて、「おう、よう来たな。飯はすんどるのか?」と聞かれました。遠慮からとっさに「はい、すませました」と答えてしまいましたが、本当はまだで、今なら喜んでごちそうになったことでしょう。残念なことをしました。 

2回目にお会いしたのはその翌年、小牧航空隊少林寺拳法部を高橋先生から引き継ぐことになり、高橋先生と一緒にご挨拶に行ったときです。20分くらい指導の心得をお聞きしました。「君の職場で、3人自分と同じ考え方、同じ気持ち、同じ行動のできる者を仲間にせよ。そんな3人がいればその組織は掌握できる。やるからには自衛隊を乗っ取るつもりでやれよ」と励まされました。

旧道場の2階階段下のスペースにソファがあり、そこで開祖は時折眼鏡を外されながら気さくにお話しくださいました。その時は怖い人、偉い人と深く感じませんでした。

その後、本部武専に通い始め、開祖の法話に触れ、技を学ぶうちに偉大さが分かってきました。胸のときめきを感じましたね。月1度の武専・帰山を待ち遠しく感じるほどでした。

aun_tunagu_vol13_05開祖は接するほど魅力を感じ、深く引き込まれます。会社で総務課長の六段の門下生が、道院長が道院でやっているとおりに真似すると社長からほめられますと喜んでいました。私もその通りで、開祖の言われる事、またその行動を知らず知らずのうちに真似てきました。開祖の真似は簡単にできるものではありませんが、これからも道院長として行いも技も門下生の先頭に立ち、見本にならなくてはと思っています。
※写真:1996年7月、本山大願塔の中にて。


家族、門下生始めたくさんの方に支えられ

江南道院を設立した年、4月に始めて集まったのは14、5人でした。忘年会をして別れ、年明けに来たのは4人だけ。どうなるのかなと思いましたが、その年は20人ぐらいになりました。それからすぐ30人になり、50、70人になるとバーッと人が増えました。数だけではないのですが、多いときは300人目前までいきました。あの頃は参座記録簿も手書きでたいへんでしたが、自然と名前を覚えられるのはよかったですね。

幸いなことに転勤はありませんでしたが、3ヶ月ほど研修で九州に行ったことがありました。その間、土曜日の昼に研修が終わるとすぐ飛行機で名古屋に帰り、道院が終わったら日曜日最終の新幹線で帰るという生活をし、週末以外の曜日は門下生が当番制で切り盛りしてくれました。ところが研修が終わった時には門下生の数が増えていて、感激しました。道院長がいない間に人数が減ってはいけない、増やしておこう、と幹部が頑張ってくれたのです。未だに皆に頭があがりません。

また、ここまでこられたのは半分以上、女房のおかげだと思っています。実は皆、女房のファンなんです。道院長より女房目当て(笑)。私は毎日、仕事が終わるとすぐに道院に行き、返ってくるのは10時、11時過ぎでしたが、文句も言わずに協力してくれました。

aun_tunagu_vol13_062011年2月、門下生が私の古希と道院長勤続45年表彰、そして2度目の愛知県体育功労賞を祝う会を開いてくれました。これはその祝賀会のアルバムです。門下生がつくってくれました。ここに写っている息子3人と孫たちは皆拳士です。この日は140人以上の方にお集まりいただき、にぎやかに楽しい時間を過ごすことができました。心から感謝しています。

あとはもういつ道院長を交代するか、そのタイミングを考えています。


他人から頼りにされる人間になれ

単に拳技だけだったらここまで人も集まらなかったと思いますし、なにより道院の役員は育たなかったと思います。私自身、最初は少林寺拳法の技術にひかれてはじめましたが、行事などいろいろな場面で金剛禅の教えに触れてきたと思います。

開祖の教えで一番大切にしているのは、他人から頼りにされる人間になれということです。自分を中心として周囲の人たちと築く信頼関係が大切です。門下生との関係もそうですよ。弟子は子分ではありません。人格のある一人の人間です。自分の道院と思って積極的に協力してもらえるようにならないといけません。

それにしても、事あるごとに親に逆らい泣かしてきた親不孝者の私が、少林寺拳法と出会い、開祖と出会い、変わる事ができたと思っています。

aun_tunagu_vol13_07開祖が亡くなった時のことはよく覚えています。高橋先生から「開祖が亡くなった。行くぞ」とだけ電話があり、すぐに休暇をとってそのまま向かいました。柩の中の安らかな開祖のお顔に接したときは。泣けて泣けて涙が止まりませんでした。その時に誓いを新たにしました。他人を裏切らないし、他人から裏切られない生き方をしようと。

多くの方々のご協力ご支援をいただきここまで来る事ができました。新聞にも毎年のように記事として取り上げていただき、地元にしっかりと根を下ろすことができていると感じています。たくさんの方の協力で今があります。これからも信頼関係を大切にしていきたいと思います。
※写真:新春法会の様子