Vol.28 他人との関わりを楽しめる人生に役立つ少林寺拳法でありたい

2014/11/10

少子高齢化社会の中で生活環境や家族関係が激変し、独居が増えるなどの「頼るべき次世代不在」という現実の中で、自分が要介護となったときのことや老後の過ごし方、そして自分の終末期について葬儀やお墓をどうするかなど、定年を迎えるまでに現実的に考えなければいけない時代となりました。
 抱える問題がかつての時代とは違い、「自身で考えて準備をする」ことが当たり前になってきたわけです。
そんな中で、親子であっても兄弟姉妹であっても、また夫婦であっても価値観や生きざまが共有されたり、たとえ共有はされなくとも理解され尊重される関係が築かれていれば、その人の人生は幸せであり、それがいつのときであれ最期のその瞬間まで”生き切った”と思えるのではないかと私は思います。
 先月、50歳になったばかりの、正義感にあふれ行動力があり、誠実でいつも一生懸命だった少林寺拳法の指導者が癌(がん)で亡くなりました 。大学生を先頭に、いちばん下のお子さんはまだ小学生という、何とも父親としては悔しかっただろうと推察できます。自宅療養中に見舞ったとき、リビングで小学生と中学生のお子さんが遊んでいました。そこに外出先から帰ってきた高校生のお嬢さんも加わりました。「うちの家族は部屋にこもることもなく、すぐにリビングに集まってくるんです」といっていました。いい家族だなあとつくづく感じて帰ったのですが、葬儀のときに配られた奥様のメッセージがその全てを物語っていていました。「ありがとう。あなたと過ごせて幸せでした」と題したメッセージには、一人ひとりと寄り添い、人々の人生の支えとなる仕事に邁進しながら、ライフワークとして少林寺拳法の指導に汗を流してきた姿は凛々しかったと。家族を大切にし、道場で小さな子供たちから大人までを指導し、その人たちの成長ぶりを喜ぶ姿を家族も嬉しく見ていたのだそうです。道場で教えを説く姿が日常の素の姿であり、家庭でもよき夫であり父親であったからこそ、家族の理解があったのでしょう。「一緒に生きてきたその手をそっと外します。故人の人生にお力添えいただきました皆様に心から感謝申し上げます」と締めくくられたメッセージに、あまりにも短かったけれど、公も私も一生懸命に生き切った幸せな人生を感じたのは私だけではなかったでしょう。
 少林寺拳法の創始者・宗道臣もそうでした。波乱万丈の人生でしたが、私の知る晩年の宗 道臣は、家族の前でも弟子の前でもどんなことも正直に”素”で生きた人でした。素で生きるには、少しずつの自信の積み重ねが必要なのだと思います。
「人は宝だ」と、人を生かすことに関われることの価値を教えてくれました。
他人(ひと)との関わりが薄く浅くなる現代。他人との関わりを楽しめる人生を生き切りたいと願う方に、役立つ少林寺拳法でありたいと思います。