vol.29 淡路中部道院 道院長 新田福音

2013/07/26

可能性の種子を芽吹かせる水や太陽のような存在でありたい
淡路中部道院 道院長 新田福音

中導師・大拳士五段、555期生。大阪府堺市出身。1994年、宝塚造形芸術大学環境デザイン学科入学(現・宝塚大学)、同大学少林寺拳法部入部。 1997年、建築会社に入社、大阪難波道院に入門する。1999年、大阪武専本科入学。2004年、専門学校禅林学園高等師範コース修了。2005年より 小児科医院に勤務する。同年、淡路中部道院を設立、現在に至る。

淡路中部道院 道院長 新田福音

道院長になろうと思ったきっかけは?
専門学校禅林学園には、金剛禅の教義を深めたいという思いで入学していました。その学生時代、道院長研修会に参加されていた先生から「あなたは卒業後、道院長になられるのですか?」と問われたことがきっかけでした。自分にもそういう道があるのだと思い立ち、その翌年11月、淡路中部道院を設立しました。当時を振り返るとまさに自力他力、信念を持って行動すれば賛同者は集まり、道は開けるのだと実感しました。

多くの人との出会いが人生を豊かにし、何気ない一言が人生を変えます。であれば、誰もが持っている可能性の種子を芽吹かせる、水や太陽のような存在でありたいと思っています。
 

aun_genki_vol14_02道院での指導方法の工夫を教えてください。
道院は社会の縮図であり、年配の拳士と幼年部、他校同士の拳士、一人っ子は年下の拳士の指導など、学校生活で接することの少ない相手と共に修練することでコミュニケーション能力を向上させる環境づくりを心掛けています。

また、級ごとに班長を決め、作務長を設けています。今まで注意されていた拳士がその立場につくことで注意する側になり、ヤンチャだった拳士ほど良き班長・作務長になる傾向があるのもおもしろいです。偶数月には教義の日を設け、昇格の宿題をしながら、夢・目標・悩みを聞くことにより、その拳士がどの様な成長過程にあるかを把握し、問題解決の糸口や具体的な将来設計を話す機会としています。

道院は拳士が身心共に成長できるきっかけにすぎません。だからこそ周囲の人に感謝をしながらも、自分自身の力で成長・達成したのだと思えるようになる事が大切です。それが挑戦する意欲や苦難に立ち向かう力となるよう目指します。
 

aun_genki_vol14_03道院長になって出会った感動のエピソードをお聞かせください。
道院を設立して間もない頃、兵庫県の道院長が遠方にもかかわらず、修練日に淡路島まで来てくださいました。人を大切にし、育てるというのはこういう事なのかと気付かされました。喜び・悩み・悲しみを共感し、話し合える仲間にめぐり会えた事は私の人生における糧となっています。

また、出産1ヶ月後に道場に戻った時は、拳士・保護者の皆さんに祝福していただき感動しました。勘が鈍っていないだろうかという不安も吹っ飛び、皆さんの温かさに感謝すると共に、一人ひとりの命の素晴らしさ・尊さをあらためて実感しました。

他にも、少林寺拳法で学んだ事を実生活で生かし、行動する事が大切と指導していく中で、拳士から家や学校での出来事を聞く機会が増えてきました。さらに淡路島の青年会議所からの講演依頼や宗道臣デーを通して、少林寺拳法を知らない地元の方々との交流も増えて、充実した活動ができていると感じています。
※写真は宗道臣デー
 

aun_genki_vol14_04道院長として今後挑戦したいことや夢はありますか?
まずは自分自身の僧階の取得を進めていきたいです。道院拳士にもっと楽しんでもらえるように、技・教義共に引き出しを増やしていきたいと思っています。

また、学生拳士の指導にも挑戦してみたいです。教えと技法を分かりやすく伝え、興味を持ってもらうためにも道院活動の充実が大切です。

家庭と仕事と少林寺拳法の両立の先に理想境建設がある。ダーマに帰依し、導かれる人生を全うしたいです。
※写真はだるま祭
 

aun_genki_vol14_05最後に、将来道院長を目指す全国の拳士にエールをお願いします。
道院長を目指す人と目指さない人のどこに違いがあるのでしょう? 私自身、道院長でない人生もあったかもしれませんが、今では、道院長でない自分が想像できません。それは充実した人生だと言い切れるからだと思っています。

少林寺拳法を一生懸命修行する拳士にとって、道院長を目指すか目指さないかは紙一重だと思います。社会情勢が悪化する現状において二の足を踏むこともあるかもしれません。しかし、言える事は、多くの出会いが貴方を変え、一味違った人生になるということです。

開祖が言われた「私が出来たのだから、君たちも出来る!」この言葉が今だからこそ分かる気がします。