vol.31 石狩緑苑道院 道院長 伊藤譲一

2013/11/27

少林寺拳法を学ぶ究極の目的は、生き方を学ぶこと
石狩緑苑道院 道院長 伊藤譲一

中導師・准範士六段、349期生。1959年7月、北海道小樽市出身。1981年、神田外語学院卒業後、札幌市役所に奉職。児童会館・生活保護課・市政広聴部門で青少年育成に携わってきた。少林寺拳法の指導者であることも影響し、現在は札幌市南区保健センターで児童虐待初期対応を担当している。1981年、札幌市役所支部入門。2004年、石狩緑苑道院を設立、現在に至る。

石狩緑苑道院 道院長 伊藤譲一

aun_genki_vol16_02道院長になろうと思ったきっかけは?
少林寺拳法を始めてすぐ、その難しさにすっかりハマってしまいました。拳技をいろいろな視点や理論で見事に披露する道院長の先生方に出会い、単純にカッコイイなぁ~と思っていました。しかし、道院長という立場に憧れてはいても、とても自分には務まらないし、その域に至れないだろうと思っていました。

やがて自分の子供たちも入門し、いつしか少林寺拳法は我が家では生活の一部になっていました。開祖の教えや生き方も自分の理想となっていき、そのうち漫然と少林寺拳法を続けることに対して、このまま楽しんでいるだけでいいのかという思いがふつふつと沸き出してきました。

そんな時に思い出したのが、「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉です。年齢も40歳を迎える頃、至らぬ身ではあるが、力強く楽しそうに生きる「おじさん」の姿を見せることで、次世代を担う拳士たちに修行を続けることに夢や希望を感じてもらえるのではないか、と強く思うようになりました。自分自身にとってもライフワークを見つけた喜びのようなものを感じました。

これを実行するためには「道院長」になり、仲間の先頭に立つ姿をみせるしかない、皆の故郷となるべき道場もつくらなければと決心し、「鶏口」となる一歩を踏み出した次第です。

aun_genki_vol16_03道院での指導方針・方法の工夫を教えてください。
80人ほどの拳士が在籍していますが、子供が多いのでしっかりとした目標を持たせることを心掛けています。分かりやすいのは大会や昇級でしょう。しかし、これは諸刃の剣となるので、個々の拳士のパーソナリティや運動能力、モチベーション維持の力などに配慮し、修練の中に私が伝えたい少林寺拳法のエッセンスをどのように散りばめるかに腐心しながらやっています。

拳技の指導自体は優秀な助教や指導担当の幹部拳士がいるので安心しています。私の役目はもっぱら、拳士の行動や言葉を細かく観察したり、家庭での様子などを教えてもらったりし、拳士が楽しく喜びを持って修行できる環境をつくるマネージャー的存在と思っています。もちろん、魂の師たる道院長になるために私自身も怠らず修行に励んでいます。

私は少林寺拳法を学ぶ究極の目的は「生き方を学ぶこと」であると確信しています。ですから、教えを意識させ、学ぶことに誇りを感じられるような修行の仕掛けや永続するための環境づくりを大切にしています。とはいえ、道院開設以来、いまだ迷走中です。
 

aun_genki_vol16_04道院長になってからの感動エピソードをお聞かせください。
道院長になってよかったと思えることは山ほどあります。本当に苦労のしがいがあったと思うことばかりです。毎年、門下生たちとイベントなどで一緒に遠征できるのは楽しいものです。また、立派に成長し、結婚の挨拶や親になった報告に来てくれるのは感慨深いものがあります。

その中で、道院長としてというより親として一番嬉しかったのは、長男が金剛禅式の結婚式を挙げてくれたことです。嫁は私の弟子でもあり、その嫁を道院に連れてきたのは、その従兄で同じく私の弟子です。いろいろな縁が紡いだ幸せだと感じています。そして、その挙式には私や息子の少林寺拳法仲間が大勢参列してくれました。道院長であり、父である私にとって、法衣・輪袈裟・念珠を身にまとい、金剛禅門信徒として出席できた喜びも格別でした。法衣をまとった拳士たちや少年部拳士、たくさんの人々が集まった写真は圧巻でした。

この結婚式にはもう一つエピソードがあります。少林寺拳法と金剛禅と挙式! 会場となったホテルの担当者は何をどうしていいのかわからないといった様子でした。しかし、偶然このホテルの従業員に拳士がいて、この拳士の尽力でホテル側も楽しみながら立派な金剛禅式の挙式会場をつくってくれました。

他にも、仕事で拳士との偶然の出会いや力添えがあり、少林寺拳法の作り出す法縁には本当に驚かされています。
※写真…2009年、バリでのインドネシア連盟主催少林寺拳法演武交流会にて
 

aun_genki_vol16_05道院長として今後挑戦したいことや夢はありますか?
地域に根ざした道院活動を目指し、石狩市緑苑台の生活者になりました。自宅の1階が布教の拠点としての道院、2階を住まいとしています。こうすることで、地域に対して責任ある行動・活動が可能となり、地域の方の認知の仕方も違ってくると考えたからです。

私の街はまだ若い街ですが、そう遠くない将来、中高年が中心となる街になっていくことでしょう。そうなった時の布教活動の切り口の一つに、同じ街で暮らす生活者としての一面が生きてくると考えています。

私たち金剛禅は、これからどんな形で地域に必要とされるのか、どんな魅力を示していけるのかを考えなくてはなりません。

地域に根ざすとは、その地域にとって価値ある存在でなければならない、私の次の目標はまさにここにあると考えています。苦難の道が待っているのではと怖くもあり、楽しみでもありますが、チャレンジしたいと思っています。
※写真…2013年、夏のキャンプ
 

aun_genki_vol16_06最後に、将来道院長を目指す全国の拳士にエールをお願いします。
道院長になってまだ10年足らずの私から偉そうなことはとても言えませんが、あえて経験から一言お伝えできるとすれば、「覚悟をする」ということではないかと思います。

道院長は、道院で起こる全ての事柄とその結果に対する責任、道院に関する人間関係・金銭関係の責任、教団の最前線に立つものとしての責任等々、常に陣頭にあって、その波風の矢面に立たなければなりません。誰かをあてにすることはできません。それでも道院長になる……という「覚悟をする」ことが重要な要件の一つであると思います。

この覚悟ができると、晴れ晴れと前に進むことができます。もう道院を設立することが楽しみで仕方なくなります。また、この覚悟の無い人には誰もついてきてくれないでしょう。覚悟の無い人を自らの師と仰ぐわけがありません。

私はまだまだ道半ば。たくさんの仲間に囲まれて幸せそうな道院長であり続けることで、いつかは真に立派な道院長になれるのではと思っています。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」の精神と「道院長になる」覚悟をしてみてください。きっと道院長になってよかったと思えるはずですよ。