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vol.33 石井宏明 大導師正範士八段 201期生

2014/03/28

すばらしい人間関係の中にいられることが一番の幸せ
石井宏明 大導師正範士八段 201期生

1939(昭和14)年10月、東京都生まれ。65年4月から2005年まで、港区役所に勤務する。65年、東京港道院に入門。75年、東京港区役所少林寺拳法部を設立。81年、流山道院設立。本山委員始め多くの役職を歴任し、10年、名誉本山委員に就任、現在に至る。

石井宏明 大導師正範士八段 201期生

開祖は、「すばらしい人間関係に囲まれていることほど幸せなことはない」とよく言われていました。全くそのとおりだと実感しています。例えば定年退職後も、元の職場の少林寺拳法部でイベントがある度に声をかけてくれ、途切れることのない人間関係が続いていることを、何より幸せに思っています。また、武専研究科一期生として4年間、本山に通い、毎回、開祖の法話を聞けたことは私の大切な財産です。中心から遠くなるほど陰が薄くなり方向を見失ってしまう。道院長交代した今でも道院に通い、欠かさず本山の新春法会に通っています。新春法会への出席は、金剛禅門信徒である道院長の義務と思っています。


脚下照顧

港区役所のエレベーターで道衣を持った人を見かけたのが、少林寺拳法との出会いになります。何をやっているのかなと思ってついていくと、70足ぐらいの靴が整然と並んでいました。さらに故・内山滋先生(大範士九段)の説明も親切で、新鮮な驚きがありました。

私は高校時代に柔道部に入っており、卒業後も続けようと思ったのですが、限界を感じてやめました。体の大きな人にがっちりと掴まれたら動けなくて……、それで、庭に巻わらを立てて突いたりしていました。でも、今ひとつ空手を始める気もなくて、そんな時に、少林寺拳法と出会ったのです。

初めて見学した時、道場長が前で基本練習をしている間、ずっと内山先生が私のそばで、少林寺拳法についていろいろと説明してくださいました。先生のお話をお聞きして、これは普通の武道とは違うと思い、入門を決意しました。

ただ、10月に見学に行って、実際に入門したのは12月です。いろいろな稽古事をしていましたので、稽古事を整理してから入門したのです。今考えれば惜しいことをしました。10月に入っていれば100期代でしたので。入門後は、大学の通信教育でスクーリングに通った1ヶ月以外、休まず続けています。なお、見学の時に、前で基本練習を指導していた道場長は山崎博通先生(大範士八段、学校法人禅林学園理事長)です。

あの頃、内山先生は世田谷区の千歳烏山に専有道場を持っていらして、千歳烏山と港区役所の両方に通っている人もいました。専有道場では夜遅くまで練習する人もいましたから、先生の奥様は近所から文句を言われたりしてたいへんだったと思います。夜遅くなると先生が来て、「君たち何時だと思っているのかね。気合いを入れないで静かにやりなさい」と言われました。練習をやめなさいではなく、静かにやれと(笑)。

aun_tunagu_vol18_02その後、専有道場は渋谷区幡ヶ谷に移りました。幡ヶ谷は準工業地帯で周りに工場もあるところですから、比較的大きな声を出しても大丈夫になりました。専有道場はそれほど広くありませんでしたが、いつも70、80人が来ていっぱいでした。蹴ろうと思って足を上げたら前の人にぶつかる、そんな状態でしたが、それがまた楽しかったですね。

「皆さんは将来の指導者です」。法話のたびに内山先生はそう言われていました。そのときはなんとなく聞いていましたが、忘れられない言葉です。
写真:恩師・内山先生ご夫妻


道を楽しむ

aun_tunagu_vol18_03丸10年、内山先生の道院に通い、75年に東京港区役所少林寺拳法部を、81年に流山道院を設立しました。

職場の港区役所に部を設立したのは、千葉県の流山に引っ越して、幡ヶ谷の道院へ通うのが体力的に厳しくなったからです。私は、結婚後しばらくは道院から近い幡ヶ谷のアパートに住んでいました。六畳一間の狭いアパートで、たまに夜遅く友達が来ると生まれたばかりの長男を押し入れに寝かせていたため、これではいけないと、千葉県の流山に家を建てたのです。1年半近くは流山から幡ヶ谷の道院へ片道2時間近くかけて通いましたが、さすがに体力的に厳しくなり、たまたま港区役所に目黒道院で二段をとった拳士がいたので、その拳士と4人でまず同好会からスタートしました。そして、翌75年、認証されました。aun_tunagu_vol18_04

活動するうちに地元でも金剛禅運動を展開したいと思い、流山道院を設立しました。ですから一時は実業団と道院と両方を運営していました。本山本部の役員もしていましたので、日曜日も毎週のように予定が入り、妻から「あそこのお父さんはよく休みの日に子供とキャッチボールをしているのに」と文句を言われることもありました。

よく家庭と職場と少林寺拳法の3つの両立は難しいと言われますが、確かにそれはあります。私は妻や職場の協力があったから続けられたと思っています。東京港区役所少林寺拳法部では昼休みも練習をしていました。2人だけの職場にも関わらず、気持ちよく送り出してくれた職場の仲間に感謝しています。そのかわり、朝、早めに行って掃除するなど人一倍働くことを忘れず心がけました。

aun_tunagu_vol18_05私はジョギングやテニスなどいろんな趣味がありますが、25歳で少林寺拳法に出会って以来、少林寺拳法が中心です。時間もお金もたくさん少林寺拳法につぎ込みましたが、惜しいと思ったことはありません。開祖がよくおっしゃっていたように、道を楽しむ、まさに道楽です。
写真上:1996年10月、港区職員文化祭に参加。お茶やお花が主流の文化祭で体育会のクラブで最初からの参加は少林寺拳法部だけ。
写真中:1997年、宗由貴総裁と流山道院拳士
写真下:約30年前、小学生の息子との組演武。


目に見えない財産

開祖の法話を初めて聞いたのは、初段で参加した指導者講習会の時でした。それ以来、指導者講習会は欠かさず行きました。また、武専別科高等師範科卒業後は、研究科一期生として千葉から本山に4年間通いました。このときは、好きなお酒をやめるからと妻に頼み込んで許してもらったんです。妻には心から感謝しています。1週間目にはお酒を出してくれました。

武専へは、夜行の寝台列車で通いました。東北の故・太田達雄先生(大範士九段)、故・鈴木弘先生(大範士八段)、東京の松田欣一郎先生(大範士八段、「志をつなぐ」vol.17参照)、秋吉好美先生(大範士八段、名誉本山委員)、故・中島洸先生(正範士八段)といった東北・関東の道院長と、だいたいいつも一緒になり、うどんを食べたり、楽しく語らいながら道中を過ごしました。

毎月、開祖は必ず出てきて法話をしてくださいました。いつも開祖からエネルギーをいただき、よしやるぞという気持ちで帰路に着いたものです。武専の4年が終わったその年に、開祖が亡くなりました。開祖の法話を聞けたことは私の大切な財産です。

あのころは山門衆がうらやましくて、私ももう少し若ければ、もっと早く少林寺拳法を知っていたらと思っていました。山門衆として開祖のおそばで働きたかった。少林寺拳法漬けの毎日にも憧れましたし、何より開祖を尊敬していました。一番尊敬する人というとやはり開祖になりますね。

私は開祖に直接手を取って教えていただいたわけではないですが、法話だけは何度も聞いています。法話を聞く度、腹の底から活力が湧いてくるのを感じました。開祖は少々体調が悪くても出てきてくださり、そのまま熱が入って1時間で終わるところが2時間半お話されることも多々ありました。

私は少林寺拳法を始める前、話し方教室に通っていたことがあります。その教室の創始者は日本で有名な先生ですが、開祖のお話を聞いた時、その先生ととても多くの共通点があると思いました。間の取り方、聞き手の反応を見ながら話を切り替えるメリハリの付け方、まるで一人ひとりに語りかけているような話し振り、とても共通するものがありました。お二人を比較して論文を書いたこともあるほどです。とにかく熱意に溢れ迫力ある開祖の法話は圧巻でした。

aun_tunagu_vol18_06大勢の人を惹き付けた開祖は偉大だと思います。しかし、そこには開祖のたいへんな努力があったと思います。高弟の先生が「開祖はどんどん変わっていった」とおっしゃっているように、常に怠らず勉強されていたのだと思います。教範を見ても、武道や宗教に対する造詣の深さを感じます。

開祖に心酔し、少林寺拳法が好きでたまらないから、私は今でも一生懸命努力し続けているのです。
写真:89年、少年部委員会のメンバーと。他にも布教委員、出版審議委員など多くの役員を歴任した。

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こすってもはげない厚メッキになれ

開祖は情の世界を大事にされていました。悲しいときは泣き、おもしろい時は笑う、それが人間本来の在り方だと思います。何に対しても無関心なんてつまらないし、人として一番大切なものが欠けてしまうと感じます。

「すばらしい人間関係に囲まれていることほど幸せなことはない」と開祖はよく言われていました。今も途切れることのない人間関係が続いていることを、何より幸せに思っています。少林寺拳法の仲間とは本当に長い付き合いをしています。定年退職後も元の職場の少林寺拳法部でイベントがある度に声をかけてくれます。金剛禅と出会い、すばらしい人間関係が広がりました。aun_tunagu_vol18_08

最初は多くの人が、健康になりたいとか強くなりたいという気持ちで少林寺拳法の門を叩くと思います。それが、数年たち有段者になり、続けるうちに自然と金剛禅の意義に目覚めていく……私自身がそうでした。私は道院長交代した今でも道院に通い、欠かさず本山の新春法会に通っています。新春法会への出席は、金剛禅門信徒である道院長の義務と思っています。

「メッキで結構、一生剥げんような厚いメッキになれ。孫子の代まで金で通るようなメッキもある」「ぼろ石は、どんなに磨いてもダイヤモンドにはならないが、磨けば何とかなるという石は多い」という開祖の言葉に影響を受け、大いに励まされてきました。努力し続ければ、少しずつでも変わっていける、人間は可能性を持った種子であることを感じています。これからも、この法縁を大切にし、生涯修行に励みたいと思います。aun_tunagu_vol18_09
写真上:門下生の結婚式で演武を行う。
写真中:千葉県少林寺拳法連盟会長に同行し、千葉県連盟の幹部で訪中。
写真下:2006年、新春法会。自宅を改造して礼拝施設とした。