vol.35 国と自分たちの将来、そして21世紀の世界のあり方

2015/07/11

作家であり僧侶でもある瀬戸内寂聴さんが、療養中の身でありながらも「死ぬ前にどうしても言っておかなければ……」と、安全保障関連法案に抗議する東京永田町国会前での集会に参加しました。戦争には正義の戦争はないという、瀬戸内寂聴氏の意見に私は全面的に賛成です。

イラクの大量破壊兵器を理由にした侵攻に日本は加担しました。しかしイラクに大量破壊兵器は存在せず、アメリカのジョージ・W・ブッシュでさえ大量破壊兵器を理由にしたことは間違いであったと認めています。しかし、加担した日本は未だ間違いであったことを認めてはいません。最近の中国脅威論も、憲法改正という最終目的のために、イラク侵攻に自衛隊を派遣したときと同じような感覚で煽られているように思うのは私だけではないでしょう。

「今の日本の状態は、私が生きてきた昭和16年、17年頃の雰囲気がある。表向きは平和なようだが、すぐ後ろの方に軍隊の靴の音がぞくぞくと聞こえている。最後の力を出して戦争に反対する行動を起こしたい。」と、自民党の重鎮・野中広務氏からも危機感を募らせた反対意見が出されています。実は、1977年に少林寺拳法創始30周年を迎えた日本武道館で、創始者・宗 道臣は当時の社会状況に対し、この野中氏と同じようなことを講話しています。野中氏同様にかつての戦争を経験している宗 道臣は、戦争に向かうまでの教育と扇動の怖さを嫌というほど体験しています。だからこそ政治の駆け引きや、軍事産業による経済の立て直しなどという愚かな行為を心から憎み、そんなものに振り回されないような確固たる信念を持った人を育てることに生涯をかけました。

当時20歳そこそこの私は平和な時代に生まれ育ち、父親のそんな危機感を考え過ぎじゃないかと思っていた節がありました。日本という国が大事に至らなかったのは、その当時は戦争経験者が国の中枢の大半を占め、ブレーキの機能が存在したからではないでしょうか。

しかし今は違います。特定秘密保護法で情報統制し、武器輸出を防衛装備移転と言い換え、憲法も解釈を変えるとか、未だ国内で議論もしていない安保法制を先によその国で約束するなど、民主主義も何処へやらです。そんな今、東京渋谷を中心に”SEALDs”という、自由と民主主義のための学生緊急行動が活発化しています。先週(2015年6月27日)には2500人に膨らんだようです。

国の将来と自分たちの将来、そして21世紀の世界のあり方を真剣に考えたいと思います。