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vol.36 村上一 大導師大範士八段 58期生

2014/09/28

教えの実践で今がある、開祖は私の育ての親
村上一 大導師大範士八段 58期生

1933(昭和8)年4月、愛媛県生まれ。54年、三島道院(当時)に入門。59年、中曽根道院を設立。長年、左官業を営み、82年より伊予三島市市議会議員を5期務める。2005(平成17)年、旭日双光章受賞。本山委員始め多くの役職を歴任し、07年より名誉本山委員に就任、現在に至る。

村上一 大導師大範士八段 58期生

開祖の教えを、私なりに考えて実践してきました。最も大切なのは自然に学ぶことだと思っています。天と地、陰と陽といった相反するものの調和で世界が成り立っています。満ちて溢れず、上善水の如し、萬法を侶となす。協調精神の調和が大事。常に相手の立場に立って考え、思いやりを持って行動することが金剛禅の教えですよね。いくら賢くても専門バカになってはいけない。拳技だけではいけない。教えを自分のものにして、いかに地域社会に生かしていくかなのです。それには謙虚に学び、一生懸命努力することです。苦労を嫌がってはいけません。開祖のおかげで今の私があります。開祖は私の育ての親です。


本音のキャッチボール

当時、三島の浜の連中というとワルばかり、私も学生時代はとにかくワルかったんです。喧嘩で袋叩きにされたことがあり、これは何か習って仕返ししなければと思っていた時、ある先輩に再会したのがきっかけとなりました。先輩は小学校の時は泣き虫でしたが、その時、道衣と黒帯を抱えていました。その先輩がやっていたのが少林寺拳法。21歳の時、三島道院(当時)に入門しました。

それからいろいろあって27歳で中曽根道院を設立しました。強い決意があったわけではなく周りから推される形でしたが、今は道院長になってよかったと思っています。そうでなければ開祖との出会いもなかったと思いますし、今の人生はありませんでしたから。

初めて開祖と話した時、「賢い人間は1を聞いたら10悟る。お前は1言うても1も分からん」と言われました。そこで、「先生、私の名前は横一の一(はじめ)と書きます。一がなかったら万になりません。最初は喧嘩に強くなりたくて少林寺拳法をはじめましたが、今は万になろうと努力しています」と言うと、開祖は何も言わずじーっと私の顔を見ていました。それからは微に入り細に入り、いろいろと教えていただきました。この男は多少のことではくじけないと思っていただけたのではないでしょうか。

私は開祖に何でも本音で話しました。最初は怖い印象を持ちましたが、何か温かみというか包容力を感じました。ですから本音で言葉のキャッチボールができたのです。

開祖存命中、周囲から市議会議員に推され、相談に行ったことがあります。「県議会議長になる自信はあるのか」と言われ、市議会議員に出るのになぜ県議会議員なのかと、その時は出るのを辞めました。今にして思うと、開祖は私の考えを見抜き、二手三手先を考えていたのでしょう。

aun_tunagu_vol21_02開祖から教えていただいたことは、拳技だけではなく、当身の五要素を人生の五要素として生かすことをはじめ、日常生活に生きる教えでした。その教えを大切に努力し、地域社会に貢献してきたから今日の私があると思っています。開祖は私の育ての親です。

開祖に70歳の古希の御祝いを持っていった時のことです。「まだ歳いってない、いらん」と言われました。「せっかく持って来たのに受け取ってくれないのですか」、「わしゃまだ70いってない」、「分かりました、それならもう渡しません」。その翌年、開祖は亡くなりました。
写真:1977年2月11日、四国内の道院長と開祖を囲んで


受けた恩義は必ず返す

私は左官業をしており、錬成道場が建った時に「禅寺のように渡り廊下に玉砂利を敷かせてください」と開祖に申し入れたことがあります。即断られたのですが、それでもしつこく奉仕作業を申し出ると、「玉砂利はどこの石か」「吉野川から運びます」「それに細かい砂がついていたら、歩いた拳士の足裏に砂が着く。その足で廊下に上がれば砂が落ちるからそれを叱らないかん。お前は玉砂利敷いて満足かもしれんが、他人には迷惑になる」、そう言われました。開祖の人を大切にする奥深さを感じましたね。結局はフルイにかける機械を持ち込み、砂を落としたうえで、さらに水洗いしてから敷きました。開祖もそこまでするならと許してくれました。

また、開祖のご自宅の壁の塗り替えをお手伝いしたこともあります。壁をぬり終わると「おい、いくらになる?」と聞かれました。奉仕作業のつもりでしたので「後で請求書を送ります」と言うと、「めんどくさい。これをもっていきなさい」と封筒を渡されました。私に請求する気がないことを開祖は見抜いていたのでしょう。手の感触でこれぐらいならと思って受け取りましたが、家に帰って開けてみて驚きました。材料費、人件費にぴったり見合い、さらにいろをつけた額が新札で揃えてありました。開祖は何でもよくご存知だと思ったものです。

後日、同額を本山に寄付したところ、開祖から「本堂の横に村上の名前でソテツを植えたから、枯らさんようにせいよ」と連絡をいただきました。受けた恩義は必ず返す。そのことを、実践を通して教えていただいた気がします。


人を育てるとは

開祖はその人にあった教え方をされていました。「大工や左官でも、人に使われて一生終わる者もいれば、図面の一つも読めて人の何人か使う者もおる」、開祖の教えを大切に、人に認められる人間になるべく努力してきました。

修練場所を借りていたときは、きれいに掃除して、後始末もきちんとしていました。すると、時間の融通もきかせてくれるようになり、信頼を得られるようになっていきました。

そうしているうちに、拳士の強い要望があり専有道場を建てました。市の古い建物を払い下げしてもらい、所有する田畑に移築したのですが、拳士の皆で力をあわせて、自分たちの手で移築しました。仕事が終わって夕方5時過ぎてから集まりだし、木造の家を解体して、運んで組み立てます。女性も屋根に上がって瓦を降ろしたりしていましたよ。

aun_tunagu_vol21_03拳士とは、修練の時だけでなく、道場外でも表裏のない付き合いをしてきました。この写真はもう30年近く前のものになりますが、中曽根道院OB会で本山に行ったときの宗由貴師家との記念写真です。道院OB会は今も続いていて、何かあるとさーっと集まり、力を貸してくれる仲間です。

皆が私を育ててくれたと思っています。自分一人の力はたかが知れています。互いに高めあい、自主的に動く雰囲気をつくることが大切だと思っています。「こうしてやろう」などと指導する思いが強いとうまくいきません。そう思っているうちは、してやっているという自分の欲望を満足させるのみで教育効果は表われないのです。拳士に自信を持たせる指導が大事。そのためには相手にあわせてタイミングよく言葉を掛けたりすることが必要です。

指導者講習会で故・伊瀬一先生(大導師正範士八段)と練習していた時、開祖から「そこの二人出てこい」と声を掛けられたことがあります。「練習に来ているんだから恥をかいて帰れ」と、壇上で全員の前で技をさせられました。すると「さっき下でやっているより、うまくできているな」とほめられました。開祖は叱った後は必ずほめて自信を失わせないよう心づかいをされるんですね。

開祖は育てるための厳しさがありました。その厳しさの裏には深い思いやりの心、優しさがあったのです。


教えを日常生活に生かす

私は市議会議員を5期、3期からは議長を務めました。開祖逝去後、再三要請を受け、「これだけお願いしているのに出てくれないのなら、男の付き合いはできない」とまで言われ、立候補したのです。議員活動においても、常に指針となったのは開祖の教えでした。

aun_tunagu_vol21_04この写真は、2005年8月21日、四国中央警察署で、警察官を相手に「人の原点」について講演した時のものです。1年ほど四国中央警察署で護身術を指導していたことがあり、その指導の際、教えを拳士でない人でも分かりやすいよう話していたことから、講演を頼まれました。

現在も、四国中央市連合会の会長など、いくつか役職をさせていただいています。少林寺拳法を続けていなかったら、今の自分はなかったと思っています。地域社会で認めていただき、県の教育長表彰を受けたり、旭日双光章までいただいたり、多くの方に感謝するばかりです。


上善如水

「ただ拳技だけではいけない、地域のために貢献しなさい」という開祖の教えを大切に実践してきました。開祖の教えを日常生活に生かし、行動できる人間になることが大切で、ただ、拳技だけではだめなのです。一生懸命努力し、自ら学ぶことが必要です。

議長時代、市議会事務局の若い職員に、「一緒に勉強しないか」と一日一言を交代で読んで勉強したことがあります。そして、その日に勉強した言葉を筆ペンで書くことを毎日続けました。今は筆ペンを常に持ち歩き、お世話になった方にその場でさっと言葉を書いて贈っています。

開祖の教えを私なりに考えて実践してきました。最も大切なのは自然に学ぶことだと思っています。

aun_tunagu_vol21_05「満ちて溢れず、上善水の如し、萬法(ばんぽう)を侶(とも)となす」。

水は溢れたら洪水になって被害を起こしますね。専門バカになってはいけない。また、水は高いところから下へ、低い方へ低い方へ流れます。つまり、いくら賢くなっても傲慢になったらいけない。この水のような生き方ができれば、地球上のすべてを侶とすることができる。萬法とは地球上の全てです。人間だけだったら友人の友ですが、地球上の全てであるから侶。萬法を侶にしていたら、環境汚染なんてできないはず。侶を殺す訳にはいきませんよね。

自然に学ぶことが大切です。自然に学ぶとは、協調精神、調和を学ぶということです。世界は天と地、陰と陽といった相反するものの調和で成り立っています。ダーマですよね。

aun_tunagu_vol21_06少林寺拳法は私の人生に大きなよい影響を与えてくれました。私はよくカラオケで北島三郎の「恩返し」を歌うのですが、この歌詞が私の人生にそっくり。歌詞に出てくる親父は私にとっては開祖です。開祖に逆をとられてポーンと放られ、怒鳴られたり叱られたりもしました。しかし、この道を選んで全く悔いはありません。私は人に喜んでもらえる仕事が開祖へのご恩返しと励んでまいりました。人生は一生修行、これからもご恩返しをしてまいりたいと思っています。