vol.40 日本人としての誇り

2016/02/02

 50年ほど前、“一億総白痴化”という言葉が話題になったことがあります。当時、社会評論家の大宅壮一氏が、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させ、一億総白痴化になる」と表明したことからでした。

 科学的にも、子供のテレビの長時間視聴は、言語知能などをつかさどる脳の前頭極に悪影響を与えるとする研究結果が発表されたり、読書能力や注意能力を低下させるということが実証されたりもしています。しかし、子供に限らず、テレビがここまで普及する以前に育った世代も含め、昨今の情報化社会という言葉にある意味洗脳され、何でも自由に情報を得ることができる環境にいると錯覚している人が恐ろしく増えていることも、大変な日本の危機のように思います。

 どのチャンネルもお笑い芸人のオンパレードで、MCやコメンテーターにまで登場しています。私自身、お笑いが嫌いなわけではありませんし、芸人さんを否定するものでもありません。しかし、役割が違うのではないかと思うのです。かつてのように喜劇の中で、人生の機微や親孝行や他人への思いやりなど、さまざまなことを涙あり笑いありで感じさせてくれたものとは違い、物事を深く考えない習慣を植え付けられているような気がしてなりません。

 どうでもいい芸能ゴシップに時間を割き、重要な問題は本質に触れず、さわりだけでスルーする報道は毎日のように流されまです。少子高齢化社会を言葉ではいうものの、このまま行けば日本がどういう時代をすぐ先に迎えるのか分かっていれば、草食化・晩婚化・非婚化・不妊傾向の問題や、子育て・介護にあたって避けなければならない精神不安定や、人ととしての未成熟を招く社会は放置できないはずです。

 以前に触れた子宮頸がんワクチンの問題(Vol.12 他人のことが本気で考えられる人間を育てたい)も、後遺症の問題だけではなく、実際にがんを発症する可能性の高い年齢までは効果がないといわれ、ワクチンを接種していても若いころから検診をし続けなければならないのですから、検診だけでカバーできるのでは? と思うのは私だけでしょうか。おかしな話です。

 また、日本で生きる私たちには、放射能汚染の問題は深刻です。5年後10年後に「こうなりました」では遅いのです。起こってしまったことはもうどうしようもありませんが、うそやごまかしのない正確な情報を開示し、国民に今するべきことと将来の可能性予測を公表し、その現状と闘う以外ありません。

 こんな話をすると、「補償問題だから政府は言わないよ」とか「日本だけでは決められないんだから」と、タブーであることを誰もが公言する日本です。日本人も激減し、日本文化も消えうせることは、世界にとっても大きな損失だと思うのですが。

 少林寺拳法は、日本発祥であることを常に表明し、スポーツ化しないことにも大変なこだわりを持っています。それは、世界に普及する少林寺拳法を、創始国が強さを誇示して牛耳るためではありません。武的にどちらが強い弱いではなく、同じ楽しみを持つ人々が、利害ではなく仲間として助け合い、思いやりを持って協力する人間関係をつくるための手段としてあるものですから、日本の伝統的な礼節と、力を持ったものがないものを助けるという助け合いの文化を保ち続けるためなのです。日本人としての誇りを持つとは、そういうことではないでしょうか。