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vol.37 庄野雅巳 大導師正範士八段 232期生

2014/11/28

自分で考え、行動しよう。身近なところからの理想境建設
庄野雅巳 大導師正範士八段 232期生

1935(昭和10)年2月、千葉県生まれ。58年、法政大学経済学部卒業後、自動車整備部品販売会社に就職。61年、徳島県に移り薬局を経営。68年、貞光道院に入門。74年、貞光道院の三代目道院長に就任。その後、組織局委員、本山委員始め多くの役職を歴任し、07年より名誉本山委員に就任、現在に至る。

庄野雅巳 大導師正範士八段 232期生

開祖と初めて言葉を交わしたのは、三代目道院長として貞光道院を引き継いだ、本山の任命式のときです。葡萄酒で盟杯を交わし、「職業は何だ?」「薬屋です」、と僅かな時間でしたが、忘れられない思い出です。数年後、開祖から「お前は薬屋だったよな」と薬のことを聞かれたときは、記憶力のよさに仰天し、ますます尊敬の念が強まりましたね。開祖の唱えた世界平和実現は、自分の周りから、影響を与え変えていこうというものです。当たり前のことを当たり前にできていない世の中だから乱れる……。簡単なようですが、永遠のテーマなんですね。行動あるのみ。自分で考えて行動する、全てそこに行きつきます。


少林寺拳法で健康に

私は千葉県御宿で生まれました。美しい砂浜のリゾート地です。野球少年で高校は甲子園を目指し、法政大学も野球のために入学しました。ところが野球肘で断念せざるをえなくなってしまい……その学生時代に出会ったのが家内です。卒業後しばらくは東京で会社務めをしていましたが、家内が一人娘であることから、1961年、家業を継ぐため徳島に来ました。薬の卸売業で、病院回りが主たる業務。車がたくさん走っている東京と違い、未舗装の砂利道を、点滴の瓶を積んだ二輪車で走り回るのは結構たいへんでした。

少林寺拳法を知ったのは徳島に来てからです。仕事場まで電車で通っていたのですが、その線路脇に「少林寺拳法」と書かれた木の札が立っているのを見つけて気になっていました。学生時代、明治大学の空手部に高校の同級生がいてよく練習を見に行っており、武道には興味があったんです。強さに憧れがあったんでしょうね。すでに東京には内山滋先生(故人、大法師大範士九段)が道院を開いていたのですが、残念ながらその頃は少林寺拳法のことは全く知りませんでした。

実際に入門したのは数年後。阿波銀行半田支店に転勤してきた貞光道院の最初の道院長と知り合いになり、誘われて少林寺拳法を始めることにしました。道院は高校生ばかりで乱捕りも多く、若い拳士を相手に体力面ではきつかったですね。その時、私は33歳、道院長は一つ年上で、もしかしたら道院長も話し相手が欲しかったのかもしれません。たまたま小さい子供を連れたお父さんが入ってきて、私はその人と一緒に練習ができたから続いたようなものです。1級になるころには、年下の有段者からいろんな相談を受けるようになりました。大学を出て東京で働き、世間にもまれてきているわけですから、いろんなことをアドバイスできたんです。

少林寺拳法を始めて生活が変わりました。それまではしょっちゅう薬屋の仲間と朝まで飲むという乱れた生活をしていました。家族が東京から婿に来た私に遠慮して、文句を言わないのをいいことに飲み歩いていたんです。年中肩こりに悩まされ、胃痛もあり常に体のどこかがおかしかったです。ところが少林寺拳法を始めてからお酒をやめ、肩こりも胃痛もなくなりました。お金を使わなくなった上に健康になったのですから、家族からもたいへん喜ばれました。


三代目道院長

aun_tunagu_vol22_02初段、二段と昇段は早かったと思います。なにしろ、道院では有段者の高校生がたくさんいて、若者たちと激しく練習していましたから。段位が上がるごとに自信がついて、若い拳士も信頼していろんなことを聞きにきてくれました。三段になるころには、近所の高校生がどんどん来るようになり、まさに波に乗っていました。そんな時、道院長交代の話が持ち上がってきたのです。有段者の高校生たちは卒業後就職し故郷を離れていましたので、道院長候補者は私と田中義美さん(徳島美馬道院道院長)の二人だけ。年齢では私より下ですが、少林寺拳法では先輩になる田中さんが後を継ぎました。田中さんはまだ22歳だったと思います。ところがそれも束の間、翌年、銀行マンだった田中さんに転勤の辞令が下り、結局、私が後を継ぐことに……74年、40歳でした。

aun_tunagu_vol22_03それからは、地域に根付いた道院づくりを心掛けてきました。道院長になって1年半後、道路拡幅のため専有道場が立ち退きとなり、修練場所に困ったことがありましたが、町長や警察などの協力で場所が確保できました。当時は、鏡開きではなく稽古納めを12月に行っており、そこでは町の有力者全員を招待し人間関係を築く努力をしていました。続けてこられたのも、拳士・協力者のおかげと思っています。

少林寺拳法の組織内では本山指導員をはじめ組織局委員や出版審議委員、企画委員など、様々な役職を引き受けてきました。組織づくりの限界や指導者の質の問題など、苦悩しながらも自分にできることを精一杯努めました。
※写真上:1990年代、町の幼稚園で少林寺拳法の紹介
※写真下:毎年、5月と10月、道院の近くで芝桜の手入れのボランティアをしている。


開祖との最後の会話

私が道院長に就任した当時は、道院長任命式で開祖と師弟盟盃を交わしていました。壇上で開祖がグラスに葡萄酒をくれるんです。その時、「職業は何だ?」「薬屋です」と、わずかな時間ではありましたが開祖と初めて言葉を交わすことができ、感激しました。しびれましたね。

それから6年程たち、徳島県内である問題が起きたときのことです。当時、副理事長だった私は開祖に呼ばれて何度も本山に行きました。そのころは開祖のことを管長とお呼びしており、緊張しながら管長室にはいりました。入ると鈴木義孝SHORINJI KEMPO UNITY顧問が脇で正座して開祖が「おう、来たか」と迎えてくださいました。あるとき、「お前は薬屋だったよな」と薬のことを聞かれびっくりしました。認証式でのことを覚えていらしたのです。開祖の記憶力のよさに仰天し、ますます尊敬の念が強まりました。

そのころが一番開祖と密接に関わらせていただいた時期となりました。それまでは武専で本山に来ても遠くに開祖を見るだけ、話をすることも並んで写真を撮ることもない雲の上の存在でした。

開祖が亡くなったとの連絡が入った時は、ちょうど修練中でしたが、すぐ公館に飛んでいきました。その時、開祖の枕元には二人程人がいて、私は後ろの方に座って手を合わせていました。すると、何かのタイミングで誰もいなくなり、開祖と二人きりになったのです。すぐ開祖のそばへ行き、心の中で開祖といろんな話をしました。時間にすると5分もなかったと思います。今考えても不思議ですね、開祖の枕元で交信したことは、忘れられない出来事です。その話の中身は言えません(笑)。私の心の中だけにしまっておきたいと思います。


友達をつくれ、行動しよう

実は、道院に見学に行ってすぐ入門したわけではないんです。最初、技を見て法話を聞き、すごく簡単で当たり前のことを言っていると思ったんです。そんなこと言われなくても分かっていると……。それからまた数ヶ月考えていました。しかし、近所で顔をあわせますので、再度誘われ奨められるまま入門しました。

ですから、はじめは仕方ない、格闘技でもやろうという気持ちだったんです。ところが修行するうちに、この当たり前のことが少林寺拳法の芯なのだと分かってきました。

当たり前のことが当たり前にてきていない世の中だから乱れているんですね。簡単なようで実はとても難しい永遠のテーマであることに気付きました。世界平和というと大きな問題すぎて不可能に思われますが、そうではありません。開祖の唱えた世界平和は、自分のまわりから、身近なところから影響を与えて変えていこうというものです。

開祖はよく「友達をつくれ、行動しよう」とおっしゃっていました。言葉で表したら非常に簡単なことなんですよ。自分から行動するのは、そんなに難しいことではないのです。

aun_tunagu_vol22_04私は道院で拳士に、「隣にいる友達に、もっと少林寺拳法の魅力を話そう」と話します。少林寺拳法ってこんなすごいんだよ、おもしろいんだよって。子供の後ろには父母、祖父母の4人の大人がついています。その大人たちにも少林寺拳法はいい、と思わせられるかどうかが道院の魅力、道院長の手腕と思っています。やはり長く修行を続けないと技術も上達しません。技術が上達してくるとおもしろさが増して、自然と教えも頭の中にしみ込んでいくんです。おもしろいですよね。
写真:恒例の剣山合宿にて
 

aun_tunagu_vol22_05行動するから味方ができる

それから、自分で考えることが大切です。人に言われてするのではなく、自分で考えられる人間になること。道院では、教えるのではなく考えさせることを重視しています。人数がたくさんいるときは班別にして、なぜできないのか、皆で相談してみなさいと促します。

その上でさらに行動あるのみ。自分で考えて行動する、全てそこに行きつきます。

警察、町長、学校長といった方たちに認めていただけたのは、地域社会に貢献すべく行動してきたからだと思っています。皆、青少年の教化育成を願っている方々ですから応援してくれますよね。でも、目立ってはいけません。自信満々で俺が俺がというのはいけませんね。行動が行き過ぎて時にまとまらなくなることもありますが、それでも行動しないよりましだと思っています。失敗したと思ったら頭を下げてすぐ引き返し、出直したらいいんです。

金剛禅に出会って人生大きく変わりました。開祖に憧れ、精進してまいりました。道院で教えた拳士が道院長になり、活躍している姿はとても嬉しく頼もしく感じます。少林寺拳法のおもしろさ、金剛禅の魅力を印象づける指導者がもっと増えたらいいなと思っています。これからもそういう指導者づくりに邁進したいと思います。