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vol.39 藤本義政 大導師大範士八段 134期生

2015/03/19

ひたむきに歩んできた少林寺拳法人生、一日一瞬、今を大切に生きる
藤本義政 大導師大範士八段 134期生

1943(昭和18)年2月、兵庫県生まれ。1960年5月、神戸道院に入門。1961年、高校卒業後、日本製粉株式会社に入社。65年に姫路白鷺道院、 翌66年に相生道院を設立。相生道院は71年に道院長交代し、72年、神戸長田道院を設立。本山委員、少林寺拳法世界連合(WSKO)理事をはじめ、多く の役職を歴任し、2013年より名誉本山委員に就任。現在、兵庫県立大学姫路少林寺拳法部監督。

藤本義政 大導師大範士八段 134期生

1960年、初段受験のために本山へ行き、初めて開祖とお会いしました。「組織が大きくなろうとするこの時期、有段者であることの自覚を持ちなさ い」。人づくりによる国づくり、天下国家を語る開祖のお話に使命感をかきたてられ、気力が満ちてくるのを感じました。21歳で四段のときに道院長となり、 道院設立や交代をしながら、常に二つの道院を運営していました。少林寺拳法一筋に打ち込んでこられたのも、会社や家庭の環境に恵まれたからこそと感謝する ばかりです。指導者が燃えているから周りにも火がつくと思います。人生はあっという間、今この瞬間を大切に、面授面受で伝え続けていきたい。

 

布教に燃えていた時代

1965年、22歳の時に姫路白鷺道院を設立し、道院長になりました。その前年に兵庫県北部で北条道院(当時)を設立していましたが、より大きな都市での 布教を考えたのです。また翌年、北条道院を閉鎖し、相生道院を設立しました。相生道院は4年で後進に譲り、1972年、念願だった地元の神戸長田に道院を 設立しました。このように、縁あって常に二つの道院を運営してきました。ちょうど組織拡大の時期で、道院を増やそう、裾野を広げようと活気溢れていまし た。ですから私も開拓しようと、まず地元ではなく、少し離れた姫路に道院を出したのです。

姫路は城下町で有名な古い土地柄ですから、若輩の自分が受け入れてもらえるか不安はありました。道場破りもたくさん来ましたよ。彼等は見学と称して来るの ですが、直感で分かります。そういう見学者には、「どこでもいいから掴んでみなさい」と言って技を掛け、ギャーっと言わせました。毎日が真剣勝負でした。

道院設立直前、開祖に言われた第一声は、「君より目上の人や経歴のある人を一人でも多く集め、影響を与えるように」でした。また、「金剛禅に共鳴するなら ば教えなさい。言葉遣いや服装、態度の悪い人は、あらためる気構えがあるならよいが、そうでないなら入門させるな」という時代で、入門者に困ることがな く、去る者は追わない主義で運営しました。

道院はそれぞれ週3日ずつ、毎日、定時で仕事を切り上げ家に帰り、さっと食事してそのまま道場へという生活でした。それができたのも、会社と家庭の環境に 恵まれたからと感謝しています。会社は24時間操業で三交代制でしたが、務めていた35年間、勤務時間変更は入りませんでした。日曜、祝日出勤もゼロ。も ちろん、それでは困るという声はありましたが、断り続けた結果、会社も理解というより諦めてくれたのかなと(笑)。特に、上司や人事部の課長、労働組合の 支部長が入門してくれたことは幸いで、いろいろと助けてもらえました。

とにかく一生懸命に布教・普及に取り組んできました。ちょうど姫路白鷺道院を設立した年は、戦後最大の台風に見舞われた年で、道院に行く途中、台風の影響 で電車が止まってしまったことがありました。拳士が来ていたらいけないと思い、膝まで水につかりながら2時間以上かけて歩いて修練場所に行ったことがあり ます。修練場所のお寺の本堂は水浸しでしたが、誰も来ていないことを確認して帰宅しました。そんなこともありましたね。

 

開祖の法話に充電されaun_tunagu_vol24_02

入門のきっかけは、あるとき友達と口論になって殴られ悔しい思いをしたことにあります。単純に喧嘩に強くなりたいと、物理的な強さを求めたのです。空手を はじめるつもりで道場を探していたところ、友達が「こんなのがあるよ」と少林寺拳法を探してきてくれました。まだ少林寺拳法が知られていない時代、見学に 行って即入門しました。非常にインパクトが強かったんです。神戸道院、故・森道基先生が私の師匠です。

aun_tunagu_vol24_03それから道院を出すまでの4年間、修行を休んだことはありませんでした。週3日は道院、後の週3日は家の近くの須磨海岸で夜練習したほどです。ただ、そのころは教えというより、とにかく少林寺拳法が好きで仕方がなく、一日も頭から離れることがありませんでした。

開祖に初めてお会いしたのは、初段受験のため帰山した時です。旧道場の祭壇前で、車座になって開祖の法話をお聞きしました。「組織が大きくなろうとするこ の時期、有段者であることの自覚を持ちなさい」。人づくりによる国づくり、天下国家を語る開祖のお話に使命感をかきたてられ、気力が満ちてくるのを感じま した。以後毎年、講習会のたびに帰山しました。開祖の法話を聞いて充電して地元に戻ったものです。

そして、開祖から教わったことを一途に実行してきました。私自身、若かったこともあり、燃えていたんです。気がついたら道院長になっていました。

道院長が真剣に取り組む姿は、拳士にも伝わります。姫路白鷺道院の拳士たちは「先生は神戸から3時間かかって来てるんや。できることはやらないと。休んで は申し訳ない」と思ってくれていたようです。彼らが今は道院長・支部長になり、この道を継承してくれていることが何より嬉しいです。 

 

面授面受ではじめて伝わるものがある

開祖に教えていただいた後襟捕は未だに覚えています。たいてい私は一番前を陣取って受講しており、あるとき開祖に「おい上がってこい」と、舞台の上で手を 取って教えていただけたのです。開祖の手は温かく柔らかな、それこそ真綿に包まれたような感じでした。気がついたら倒れているという……。後襟捕は思い出 に残る技になりました。

拳士には、うまくなりたかったら掛けてもらいなさい、と言います。先生の手から、あるいは先輩や同輩の手のぬくもりから、そこから伝わるものがあるので す。面授面受とはそういう意味だと思います。私は、開祖から、そして開祖の直弟子の森先生から伝えていただきました。それをさらに次の世代へつなげていく ため、自分なりに頑張ってきたつもりです。しかし、まだまだ足りないと反省しています。教えも技も、その真髄をもっと伝えていきたい。

10代の多感な時にこの道と出会い、自分がよりよく変わることができた自負があります。開祖はよく「変われよ」という話をされていました。「メッキでも剥げなかったら金で通用する。一生剥げんような厚いメッキになれ」という話は印象に残っています。

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1971年、開祖の還暦を祝う

ただ、変化も、よい方ではなく悪い方に変わってしまうこともあります。私はもう35年以上、保護司のボランティアをしており、その活動を通して、罪を犯し 不幸な人生を歩む因果を痛切に感じることがあります。悪い事をして当たり前という家庭環境があったり、悪い方に変わってしまう出会いがあったり……。保護 司の活動では、金剛禅で学んだことがずいぶんヒントになり、2009年に藍綬褒章をいただきました。

生涯の友となる出会いもあれば、1行の活字で人生が変わることもあります。いい人との、そして良書との出会いを、これからも大切にしていきたいと思っています。

 

理想の人生を駆け抜ける

開祖は「人は生まれも育ちも、環境・境遇も違うが、そんなものは関係ない。努力する行為が人を大きく育ててくれる」「ダーマに生かされている我が身体と魂(心)を有意義に働かせる」と話されていました。私自身、一生懸命努力してきたことで今があると思っています。

人生には転機となる大きな節目が必ずあります。私は3回、節目がありました。最初は少林寺拳法に入門した17歳の時、次は道院長になった22歳、そして、3つ目は阪神淡路大震災にあった52歳です。

震災によって神戸長田道院の修練場所は全焼し、拳士はバラバラになりました。自宅も全壊し、私自身、頭と顔を怪我して……、初めて生死の境に立つ体験をし ました。しかし、何もかもが焼けてなくなり、マイナスの状態になりましたが、道院活動は10ヶ月で再開できたのです。まさか夢にも思っていなかったこと で、顧問の尽力、拳士の熱意以外の何物でもありません。

また、その時、私は仕事でも大きな選択を迫られました。神戸工場がつぶれて閉鎖してしまったため、横浜への転勤を命じられたのです。仕事をとるか、少林寺 拳法をとるか、正直迷いました。が、翌日、家内にも内緒で、会社を辞めました。工場長がずいぶん心配してくれましたね。家がつぶれて、怪我をして、仕事も なくなってどうするのですかと。なんとかなる、そう自分に言い聞かせました。家内も「ええんちゃう」と言ってくれて安堵しました。仕事をしながら道院長を 務め、人の倍、働いて来たからもういいんじゃないですかと。

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1978年、姫路城迎賓館で開祖ご夫妻と。前列右は藤本夫人

仕事を辞めてほっとしました。これでどっぷり少林寺拳法に浸れると。今は自分の好きな事に打ち込めるので、後半は理想の人生になったなと思っています。そ うして気付いたら72歳。これからの10年も、長いようであっという間でしょうね。だからこそ、今この時を、一日一瞬を大事にしたいと思います。
※写真:1978年、姫路城迎賓館で開祖ご夫妻と。前列右は藤本夫人