vol.40 落語のルーツは仏教のお説教

2015/06/16

aun_m_vol40「エー、小噺を一つ」といった「まくら」から始まったりする落語という話芸のルーツも、仏教にあるといわれています。落語家が寄席で落語を演ずる席を「高座」といいますが、聖徳太子が「高座」でお話をされたという記述が残っています。もちろん、聖徳太子が高座で落語を演じられたわけではありません。聖徳太子は修行僧などに対して仏教の講義をされたのです。もともと、寺院で説法や講義などをする僧が座る一段高く設けた席のことを「高座」といい、聖徳太子はその高座に座られてお経の解説をされたのです。

その後、仏教が一般民衆に広まっていく中で、聞き手側が、難しい話は分からないとか、専門的すぎると聞いてもらえないということで、日常生活に関わる話題や比喩や因縁話を使って仏法を説く形態が生まれます。とにかく聞いてもらわなければ、お話にならないというわけです。

そういう中で、安楽庵策伝というお坊さんが「醒睡笑」という小話集をつくりました。笑いで睡魔を醒まさせるというわけです。この安楽庵策伝というお坊さんが、「落語の祖」といわれています。落語のルーツは仏教のお説教にあったのです。

そのほかにも盆踊りや、能、狂言など仏教から派生したものは枚挙にいとまがありません。日本においては、仏教があまりにも文化や習俗などの日常生活に深く入り込み、長い年月の中で変容を遂げ、もともとの仏教の教えがどういうものだったのか、かえって分かりにくくなってしまっているのです。

僧尼を見れば、葬式か読経を連想してしまうほど、仏教を代表していると見られる僧尼が単なる葬儀の執行人であり、読経と法要以外には用のない人間であると思われています。

釈尊は、死者について何かを教えたり、死者に呼びかけるようなことなどなく、初期の仏教教団では葬祭の儀式などは一切行わず、専ら生きている人間の教化に専念していたのに、なぜか日本では葬式仏教といわれるまでになってしまったのです。

開祖は敗戦時の満州での体験から「人、人、人、すべては人の質にある」と気付かれました。しかし同時に「その質は変えられる」とも知っておられました。縁起の理法の「全てのものは変化し続ける」。なぜならば、全ての物には潜勢力という、そのままとどまっていない、満足な状態に変化しようとする力が内在しているからです。万物の霊長たる人間も同じくその潜勢力を持っていて、開祖はそれを「無限の可能性」と言い表わされました。

そして、迷信や呪術、祈祷などを否定し、葬儀を生業とするような仏教を批判した開祖は、釈尊の正しい教えを根本に置き、人間の無限の可能性を信じ、自己をよりよく変えるための人づくりの行としての少林寺拳法を主行とする金剛禅という新しい宗門を創始されたのです。

幾千年の時代を越え、釈尊、達磨大師、開祖・宗道臣と貫かれた教えと技法は、私たち今を生きる門信徒に託されています。私たちは開祖の志を継承すべく、釈尊の正しい教えを現代に生かし、行動原理とした生き方をしなければなりません。
(文/東山 忠裕)