vol.42 熊谷道院  道院長 松本智一

2015/09/03

大きな「やりがい」を背負って、金剛禅運動を実践しましょう!
熊谷道院  道院長 松本智一

大導師・准範士、六段、417期。1967年1月、埼玉県熊谷市生まれ。

熊谷道院  道院長 松本智一

道院長になろうと思ったきっかけは?aun_genki_vol27_02
高校2年の冬にはじめた少林寺拳法ですが、3年間で二段を取得後休眠に……。就職、結婚、妻の出産(父親に)と一般的な家庭生活スタイルになっていました。そんな時に、少林寺拳法創始50周年に向けた事業の準備で休眠拳士にも便りが来ました。「少林寺拳法か。子供と一緒にできたらいいな」そんな思いの時、一通の招待状が……お世話になっていた熊谷道院設立20周年の招待状でした。これを機に復帰し、新たに稽古を再始動しました。

一般の拳士が少なかったことから、自己修練の場として武専を紹介され、翌年度より武専に入学。武専で先生や仲間と話すことで、拳技中心の考えから、教えのすばらしさを実感するようになっていきました。しかし、まだ自分が道院長になるとは思っていませんでした。

武専を卒業し1年ほど経った頃、大嶋武勝先生が病にかかり、自分が中心となって行う様になっていました。先生は体調が悪くても、修練日には道院に来て、事務所のソファーに座り、終わるのを待っていました。亡くなる少し前、私に後のことを託す言葉を残し、2008年2月、他界されました。

果たして自分に大役が務まるか、道院長交代に不安があったのは確かですが、大嶋先生が道院を設立されてから33年、熊谷道院から出て道院長になられた先生方をはじめ、熊谷道院を取り巻く多くの諸先輩方のサポートをいただくと共に、家族の協力があったことから、師匠の遺志を継ぎ道院長になることを決意いたしました。

こうして振り返ると、良い師にめぐり合えたからですね!

なお、熊谷道院は1974年、大嶋武勝先生によって設立されました。設立から10年後、先生の敷地内に学校で仮設に使っていたプレハブ校舎を払い下げてもらい、当時の一般拳士で建てた専有道場があります。礼拝施設が置かれた道場は約100畳、そして事務所が約12畳です。

 

道院での指導方針・方法の工夫を教えてください。aun_genki_vol27_03
特段これといった指導方針があるわけでもなく、日々模索している状態です。

特に今実践していることは、小学生拳士に教えについての理解を求めるため、昇級試験の宿題をみんなの前で説明させていることです。昇級試験は、小教区で月の最終土曜日に実施しています。月初めに配布する予定表に受験該当者を記載し、実技試験の一週間前に宿題提出をさせています。そして、実技試験実施後の練習日に学科試験として、書いた宿題の内容をみんなの前で説明させます。「人前で自分の考えを述べる」ことを目的としていますが、これは話す内容を理解していないとできません。低学年や少し難しいかなと思われる子には、宿題の朗読をさせます。それを噛み砕いて説明し、少林寺拳法の教えについての学習につなげています。

ある拳士は、人前に立ったまま一言もしゃべらずその場を回避したことがありました。話してみると、どうやら学校でも同じ様子。それでは何も変われないため、「自分で書いた宿題を丸暗記したら」と提案しました。すると、意外にもすらすらと発表できたのです! そこで自信を持ったのか、以後の学科試験では、自主的に丸暗記をして、自信を持って発表できるように変わっていきました。

技術では、「見せて・真似して・学んでもらう」という思いで指導しています。また、特に級拳士を中心に、合掌礼で始まり合掌礼で終わる、6構成の演武形式で修練を行っています。初めはこそこそと互いに相手の構えを直したりしながら終わっていた演武が、徐々にお互いが堂々と行い結手までできるように変わっていく、組手主体の特徴を生かした修練で、「同志相親しみ、相援け、相譲り」の実践につながるよう心掛けています。

道院長になってよかったことは何ですか。
運営許可から7年を振り返ると、自然の猛威を思い知らされた記憶が残ります。2011年3月、東日本大震災では、地震による道院への被害はありませんでしたが、原発事故による計画停電がありました。そんな中、修練場所の確保は、各拳士や保護者の協力によって乗り越えることができました。

また、2014年2月14日に関東北部を襲った大雪では、翌15日未明に雨に変わったことから、60センチメートルも積もった雪が大量の水分を含み相当な重量となって道場の屋根を覆いました。あちこちで建物やハウスの倒壊がある中、道院はなんとか持ちこたえることができましたが、翌日、フロアは水浸しになり、天井からはポトリ、ポトリと休む間もなく雫が垂れていました。集まった拳士でフロアを拭き、垂れる場所にバケツなどを設置すると共に、屋根に上がり雪おろしをしました。雪国ではないため屋根の勾配が緩く、冬の気温ではなかなか雪が溶けないのです。屋根の雪下ろしは三人掛かり、夜の作業で二晩かけて終了しました。冬の寒さの中、一人ではできないことが共に作業をすることで、辛いことも楽しく、寒くても心温まる、そんな体験となりました。人と人とのつながりを感じる出来事でした。

道院長としてこれからの夢は何ですか?aun_genki_vol27_04
門下生一人ひとりが、少林寺の教えを共にして成長し、学校や社会で活躍していくことを期待しています。小学生で入門し黒帯をとっても、中学校に入って部活動や受験等で離れていく拳士も多くいます。そんな拳士がまた道院に帰ってきてくれる「帰りたくなる」道院にしたい。そのためにも、自分自身の資質向上を図り、いつまでも動ける道院長でありたいと思います。(最近、大学生の息子に「遅っ」とバカにされます。孫も生まれ、じいさんになりましたし、年かなぁ……)

最後に、将来道院長を目指す全国の拳士にエールをお願いします。aun_genki_vol27_05
道院長になろうと思うきっかけは様々だと思います。私は道院長になって、多くの人に支えられていることを実感しました。「道院長ってたいへんだよな」と思われる裏側には、大きな「やりがい」があります。ぜひ、大きな「ヤリ貝」を背負って、道院長として金剛禅布教活動を実践しませんか!