vol.43 「人、人、人、すべては人の質にある」

2015/12/01

 昨年末から年明けにかけて結婚式の招待を受け、UAE(アラブ首長国連邦)のドバイに行く機会を得ました。新郎は、イタリア系カナダ人、新婦はアラブ系パレスチナ人で国籍はヨルダン、住まいはアブダビなのですが、親戚の多くがドバイ在住で、家長にあたる方がドバイということからドバイでパレスチナ式(新婦の父上はパレスチナ風だと言っておられました)の結婚式がありました。
 現在、日本の結婚式は周知のごとく伝統的な式は少なくなり、神式、仏式、キリスト教式、人前など、何でもありで、宗教的な敬けい虔けんさが感じられる式は少ないといえます。ちなみに私は、スイス連邦共和国ルッツェルンの教会でした。私も妻もキリスト教徒ではないのですがそのときは神に誓いました。
 パレスチナの結婚式に話を戻します。夕刻からの開宴です。パレスチナの民族音楽とともに新郎と新婦がリズムに乗り踊りながら入場、入ったところで家族が中心となり親族とともに1時間ほど新郎新婦を囲み、手に手を取り祝福の踊りをします。これが感動的でした。心を打たれました。民族的な踊りの中に、悠久から引き継がれてきた宗教的な雰囲気が感じられました。そして、そこには家族を思いやり、祝福し、喜び、感謝する人間の敬虔さを感じました。民族に関係なく、慈しみ、思いやる気持ちは共通であるという至極当たり前のことを感じました。
 彼らは、母国に住めません。事情があり住めないのです。よって、居をUAEに構え、カナダやイギリスに留学し、さまざまな国で民族の誇りを失わずに生活しています。これらのことは詳しく聞いたわけではありませんが、彼らの生きざまで感じることができます。
 パレスチナのような紛争地域では、生死は表裏といえます。今生きていることが現実であり、その先は分からないのです。
 昭和20年(開祖35歳)の敗戦まで、日本国民も満州事変(開祖20歳)以前から15年以上を日々命と向き合って生きざるをえなかったのですが、開祖はその中で、「人、人、人、すべては人の質にある」ということを発見されました。それぞれの立場に立つ人の人格や考え方いかんによって、法律、軍事、政治など、組織のあり方に大きな違いが出るということの発見です。
 真の平和の達成は慈悲心と勇気と正義感の強い人間を一人でも多くつくる以外にないということは、「教範」に明記され周知のことですが、このことを我々はもう一度心に刻まなければならない時期に来ているような気がします。
 「平和で豊かな理想境建設」。この目的の基本は、慈悲心と勇気と正義感の強い人間を一人でも多くつくることであり、そのために指導者や、それぞれの立場に立つ人間が、何を自戒し、どのように行動しなければならないかということを、真剣に自らに問い直す時期ではないでしょうか。
 数年前、私の家に10日ほど滞在した新婦の兄であるアラブ人の若者は、私との宗教談義の中で、自分にとって死ぬことは苦ではない。当たり前のことであり、避けられないものである、と言いました。重要なことはどのように生きるかだと……。深い澄んだ瞳がそこにありました。
 現在、彼はトロント大学で医学を学んでいます。
(文/松本 好史)